『八戒サンの策略』
昼間のあまりの暑さに辟易として。
家に帰るなり乱暴にネクタイを外し背広を脱いで、リビングのソファの背に掛け、三蔵が直行した先は―――浴室。
少々熱めに温度を設定し勢い良くシャワーを出して、それを身体に受け止めれば何とも心地良い爽快感に包まれる。
朝夕はかなり涼しい風が吹くようになり秋の訪れを感じさせるものの、まだ陽の高い昼間は残暑が厳しい。自然と背中を汗が流れて行くのを自覚させられる。
しかしそんな不快感に耐える時間が長ければ長い程、この爽快感は強く感じられたりもするもので。
さっぱりとした気分で浴室を出た三蔵は、もうすでに深夜に近いこの時間ではとっくに寝たのだろうと思っていた悟空が起きていた事に少々驚かされた。
「お帰りなさい」
寝室のドアを開けるなり、ベッドに腰掛けてにこっと笑顔でそう告げて来る。
悟空のその笑顔に仕事の疲れを癒されつつ、その格好に疑問が沸き起こり静かに声を発した。
「まだ風呂に入ってねぇのか」
「ううん、入ったよ」
即答で返される。
何故三蔵がそんな質問をしたのか。
悟空がパジャマではなく、違うものを着ていたから。
浴室を出てすぐにパジャマに着替える、それが悟空の常だった。
しかし、今悟空の着ているものは、白いシャツに白いズボン。
「・・・・そんな服持ってたか?」
三蔵の記憶の中では、今までに見た事のないそれに訝しげな顔をする。
「上に着てるのは俺のだよ。でも、下のは八戒の」
だろうな、と三蔵は思う。
その何度も折られた裾の長さが、それは悟空のものではない事を如実に表している。
「何でそんなものを着てる?」
三蔵に言われるのに、悟空が下を向いて苦笑した。
「何でだと思う?」
ちらっとその紫暗を捉えて悟空が思わせぶりに聞いて来るのに、痺れを切らして三蔵がその隣に座りそっとその細い腰を抱き寄せた。
「何隠してやがる」
耳元に、甘く囁かれて。
くすぐったそうに悟空が身をよじらせた。
「隠してなんかないよ。三蔵が気付かないだけ」
悟空にそう告げられても、何の事やら全く分からずに三蔵が僅かに困惑顔を見せた。
その滅多に見られない表情を瞬時に見届けて悟空が小さく笑うと、サイドテーブルに手を伸ばす。
「八戒にね、もう一つ借りたものがあるの。あ、これは借りたんじゃなくて、お祝いに貰ったんだ」
言いつつ、三蔵の目線には入らなかった位置に置いてあったそれを、悟空は両手に持ち自分の前に掲げた。
美しく彩られた、鮮やかなピンクの薔薇のブーケ。
それは悟空の笑顔を引き立て、その愛らしさを向上させる効果は十分にあった。
―――ああ、そうか。
白い服に、薔薇のブーケ。
ようやく八戒が何を言わんとしているかが、三蔵にも見えて来た。
仕事に忙殺されてすっかり意識の中から抜けていた事はこの際秘密にしておいた方がお互いの為だろう。
そんな三蔵の思惑には気付かなかったようで。
自分の姿を鏡に映してから、悟空がしばらく考え込む。
「―――ちょっと待ってね」
そう告げてベッドから悟空が立ち上がるとともに、夏用の薄い掛け布団を剥いでベッドに敷かれていたシーツをその手がすっと抜き取った。
一体何をしようとしているのか皆目検討の付かない三蔵が、次の悟空の行動に目を細める。
手に持ったシーツを自分の頭にふわっと掛けて、顔だけにはそれが掛からぬように施して。
「これで完成。・・・・・どうかな」
呟かれた一言。
自分の姿を、じっと見つめたまま視線を外さない三蔵がそこに居た。
悟空の顔に、照れ臭そうな笑顔が零れる。
―――初めての、結婚記念日。
一年前の今日、二人は入籍届けを提出した。
披露宴どころか式さえも挙げていない。
それは勿論、華美で形式ばった祝いの席など嫌悪する三蔵の希望を汲んでの決定だったが。
八戒の勧めで指輪の交換のみを施した時の二人は、当然両名とも普段着のままで。
『俺は男だから、結婚式とか衣装とか、そんなのはどうでもいいよ』
そう悟空は言ったけれど、果たしてそれが本心かどうかは分からずにいた。
「これ、本物より、ずっといいよね」
それは嬉しそうに悟空は笑う。
頭に掛けられたそのシーツは、立派にケープの役目を果たしていた。

真っ白な衣装に包まれた悟空のその姿は、触れる事さえ躊躇われるような清廉潔白な姿で。
本当は、『綺麗だ』とか、『似合ってる』とか。
この場ではそういった台詞が適切なのだろうが。
「――良く一年持ったもんだな」
出て来た言葉はこれだった。
しかしその辺りは悟空も心得たもので。
「俺、忍耐強いもん」
笑顔で負けじとそう返される。
苦笑を浮かべる三蔵の顔を見やってから、悟空がその耳元に唇を寄せて囁いた。
「結婚記念日だからってわけでもないんだけど・・・俺の我が侭、聞いてくれる?」
「何が望みだ」
叶えてやるかどうかは別として、一応、聞いてみる。
「籍を入れた頃は、今よりもっと仕事が忙しくて休暇取れなかったよね?」
そう言いながら悟空がシャツの胸ポケットから出した、それは。
二人分の、飛行機のチケット。
「八戒が、これくれたの。ここね、凄く景色が良くて、食べ物も美味しくて、いいとこなんだって」
行き先を指差して、告げる声は弾んでいる。
成る程、これは新婚旅行の替わりか、と。
ちらっと、そのチケットを見やってから、浮かんだのはあの策士の顔で。
「どうせあいつの事だ。もう宿も取ってあるんだろ」
「うん。明後日の週末から3泊だって。仕事、休める?」
すべてが他人によってセッティングされてしまった、この結婚記念日に。
呆れたように溜息を付く三蔵の表情を見つめている悟空の瞳が不安気にその返事を待っている。
ここで休めない、などと言おうものなら下手をすれば泣き出す可能性だってある、と容易に想像が付いたから。
「何とかすりゃいいんだろうが」
投げやりに言いながらも、その紫は普段より数段穏やかだ。
何だかんだと言っても結局は自分を甘やかしてくれる三蔵に感謝しつつ、その愛しい背中に腕を回した。
悟空の行為に応えるように、三蔵の両手がその細い腰を抱き寄せる。
それと同時に、ぱさりと床に落ちたのはピンクの薔薇のブーケ。
―――そのブーケを、視界の端に捉えて。
・・・・あいつには何度嵌められたか、分かりゃしねぇな。
あの人の良さそうな笑顔を思い浮かべながら、三蔵がそう呟いたとか、呟かなかったとか。
素敵な挿絵をありがとうございました。
イメージ通りでございます。
可愛いでしょう、悟空vv
ちゃんとポケットも付いてるしvv
蒼紫様より頂いた、私の宝物でございます