―――店の中を静かに流れるラジオ。
B29と一般の敵機との爆音の聞き分け方を伝える放送―――。
専門家が解説しているのだが、一般人には非常に難解だ。
そんなものを知ってどうしろというのか。



「本気で言ってるのか」
三蔵の低く抑えたような声に八戒が微笑みつつラジオのスイッチを切った。
くるっと向きを変え三蔵に向き合うと、カウンターから腕を伸ばしグラスを取り酒を注ぐ。
そのグラスを三蔵の前に戻してから告げた台詞は、決意の固さを表すが如くに語気が強められていた。
「勿論、本気ですよ」

臆する事なく告げて来る碧眼をちらっと見やってから三蔵が椅子に深く腰掛け直し溜息を付いた。
「明日赤紙が来てもおかしくない。そんな状況であいつに思い出だけ残してどうする」
三蔵が煙草を取り出したのに八戒がマッチ箱を手渡してから、まるで三蔵を諭すかのように淡々と語り掛けて来た。
「未来が無いのは僕達も同じです。いつ空爆で殺されてもおかしくありません。まぁ、都心に比べればここはまだ安全ですけどね」
八戒の言葉を一つ一つ噛み締めつつ聞きながら、渡されたマッチでゆっくりした動作で三蔵が煙草に火を付ける。それを視界に入れた八戒が灰皿を三蔵の前に置きながら、今ここにはいない可愛い弟のような存在の悟空の顔を思い浮かべながら言葉を綴った。
「未来が無いから・・・・・、余計にそう思うんですよ。残された時間を一緒に居てやって欲しいって。今、あの子の頭の中は貴方の事で一杯なんですから。見ているこっちが切なくなってくる位・・・・・」
あの包丁で負った傷も多分三蔵の事を考えていたから切ったのではないかと八戒は考えていて。

―――今まで、そんなふうにぼうっとしながら店の厨房に立った事は無かったから。
三蔵に出会って、悟空は変わったのだ。

「貴方もあの子の事憎からず思ってる筈です。―――駄目ですか」
八戒の真摯な顔を見届けつつ、三蔵がもう一度紫煙とともに深く溜息を付いた。
瞬間、ガラガラッと店のドアが開く。
―――悟空が所在無げにそこに居た。
外で話を聞いていたのだろう。
金目が少し潤んでいる。
「・・・・・もう、いいから。三蔵、困ってる・・・・」
八戒にそう呟いてから三蔵に近付き、その隣に立った。
「俺が・・・・八戒に言っちゃったから。三蔵の側に居たいって。・・・・だから、八戒、こんな事・・・・・。ごめんね、三蔵」
相変わらず涙を溜めて言われるのに三蔵が煙草の煙を吐き出してからまだ吸える煙草を揉み消した。

しばらく、三人がそれぞれの思惑を胸に沈黙する。

隣にいる悟空が涙を手で拭うのを見取った後で一口酒を口にし、それを飲み込んでから目線を悟空から外すと三蔵がゆっくりとした口調で告げた言葉に悟空は目を見張った。
「いつまで一緒に居られるか、分からんぞ」
そう言いつつ席を立ち、札をカウンターに置いて踵を返した。
悟空の顔は、見ないままで。
「明日、俺の家へ来い。必要最低限の物は自分で用意して持って来ねぇと何もねぇぞ」
それだけを伝えると、店の戸を開け出て行った。
後に残された悟空の頬を涙が伝うがその表情は僅かに明るみを差している。
「―――良かったですね。悟空」
カウンターから出て来た八戒に頭を撫でられるのに、返事を返すより先に悟空は八戒に抱き付いて泣いていた。





















『戦火』





















「ええと・・・・、こんなもんかな」
―――三蔵の家で初めて作った料理。
ちゃぶ台には肉じゃがだのひじきの煮物だのと、純和風料理が所狭しと並ぶ。
後はまもなく帰って来るであろう愛しい人を迎えるだけだ。
悟空は立ち上がりエプロンを外すと誰も居ない部屋の中で一人微笑んでいた。

自分の作った料理を大好きな人に食べてもらえる喜びと。
一緒に食事が出来る喜びと。
手を伸ばせば届くところにいる、同じ空間に居られるという喜び。

それを思うと、つい笑みが零れてしまうのだ。
「何笑ってんだ」
背後から突然声がして驚いて悟空が振り向いた。
そこにはいつ居間に入って来たのかも分からなかったが三蔵が立っていたから悟空は本気で驚いたものだった。
「ああ、びっくりしたぁ・・・・、お帰りなさい」
言いつつ胸を撫で下ろすような仕草を見せる。
そんな愛らしい仕草を見届けつつ。
仕事の時にいつも着用している制服を自らハンガーに掛ける。
一人暮らしが長いせいか、三蔵はこういった事で悟空の手を煩わせるような事はしないのだ。
「戸締り、気を付けろ。玄関開いてたぞ」
「あ・・・・、ごめんなさい」
こんなご時世だから、泥棒だの空き巣だのと、用心に越した事はない。
悟空は三蔵が自分の身を案じていてくれている事が嬉しくてならなかった。
ちゃぶ台の上に並んだ料理に気付いた三蔵がそれを一通り眺めてから告げられた言葉には、言い方は乱暴でも三蔵なりの思いやりが含まれてはいなかったか―――。
「最初からこんなに頑張ったら後が続かねぇぞ。もっと手ぇ抜け」

・・・・・やっぱり、この人、優しいや・・・・・。

心の中でそう呟きながら、悟空も三蔵に続き食卓に付いた。

決して豪勢な料理ではなかったが、大好きな人と一緒に食べられるというそれだけで十分満足で。
悟空は腹も心も同時に満たされながら、今目の前に居る三蔵に素直に感謝の言葉を告げる。
「・・・・ありがと、三蔵。俺を側に置いてくれて」
その言葉に箸を止めながら。
「帰って来た時に灯りが付いているというのも悪くはないと思っただけだ」
そんな三蔵の照れ隠しとも取れる言葉に。
悟空は小さく笑みを漏らした。





























―――今夜は特に空襲も無く、実に静かな夜を迎えていた。
悟空はそっと布団の中に脚を忍ばせる。
ほんの僅かに間を置いて、隣の布団には悟空に背中を向け三蔵が横たわっている。
『一緒の部屋で寝ていいかな・・・・?』
そう聞いた悟空に。
『好きにしろ』
そうそっけなく言われたものの否定はされなかったので悟空は三蔵の隣に布団を敷いた。
三蔵は寝てしまったのか。
先程から動く気配は無く。
こちらからその表情が確認出来ず、悟空は首を傾げながら三蔵の気配を探る。
「・・・・もう、寝ちゃった・・・?」
小声で聞いてみるが返事は無い。
寝ているのであれば三蔵の耳に入る事は無いだろうと。
心に思ったそのままの言葉を声に出してみた。

「―――俺の事、抱いてくれないんだね」

こんなに近くにいるのに触れて来てはくれない寂しさ。
自分から手を伸ばせばいいのかもしれないがそれは何だか躊躇われて。
切なさに囚われながら悟空が身を布団に埋めたその時。
「随分単刀直入だな」
振り向きもせず三蔵の低い声だけが響いて来て、悟空の心臓が一瞬跳ね上がった。
「・・・・・起きてたんだ・・・・」
自分の吐いた台詞であったのに三蔵に聞かれた事で恥ずかしさが込み上げて来る。
悟空の頬が、うっすらと赤に染まった。
こちらに向き直り上半身を起こした三蔵に見つめられて、悟空はいたたまれなくなりながら。
それでも、三蔵の次の言葉を待っていた。
「お互い、忘れられなくて辛い思いをするかもしれん。・・・・いいのか、それでも」
紫暗の瞳が真っ直ぐに金目を捉えて来る。
悟空もその視線から金目を反らさずに。
「―――忘れない為にここに来たんだ。俺には三蔵しかいないから」
そう言いながら三蔵にそっと抱き付く悟空に、三蔵は唇に触れるだけの口付けを落とした。

いつ出征するか分からない。
いつ別れが来てもおかしくない。
その前にこいつを抱きたいと思ってしまうのは。
―――やはり、俺の身勝手だな。

悟空の身体を自らの布団の上に落とし茶色の髪に触れる。
初めて見た時に囚われたその金目に口付ける。
愛しくてたまらないと全身で訴える。
・・・・・離れたくない、と。
「・・・さんぞ・・・・・」
その愛らしい口が自分の名を呼ぶ度に切なさが込み上げて来た。
首筋に証を付け、胸にも証を付ける。

身体を突き抜けていく甘くて狂おしい感覚に悟空は翻弄されつつも、心の中で神に祈った。

―――お願い。
この人を連れて行かないで。
一緒に居させて。
お願い・・・・・。

このまま時が止まってしまえばいいと。
悟空は愛しい人の腕の中で。
本気でそう願った。