コーヒーの芳醇な香りがリビングの中を満たし始めるまで、そう時間は掛からなかった。
何ともいえず芳しいその香りに、一瞬自分の置かれた状況を忘れてその香りを堪能した卓吾だったが、すぐに現実に引き戻されてしまう。
何故なら、今卓吾の目の前に存在している男が手にしたライターの着火音が耳に入ったからだ。
硝子のテーブルを挟み向かい合ってソファに腰掛けている彼らの間を言葉が行き交う事は一切ない。
沈黙が流れること、ゆうに10分はあっただろうか。
向かい合った状態で沈黙したまま経過していく10分間というのは、通常よりも酷く長く感じるものだ。
悟空はどうしているのかと言えば、いまだ自室から出て来る気配はない。。
大抵はトレーナーかボタンダウンシャツにジーンズという服装だったし、髪型などは手ぐして整えてそれですべてが完了だ。身支度に時間など掛かる筈もなかった。
多分に学校への持ち物を前の晩に揃えてなくて、今頃になってあたふたと準備している、そんなところだろうと推測出来た。
だから余計にリビングは静寂が保たれてしまっている。
玄関先でさんざん上がる、上がらない、で悟空と揉めた卓吾だったが。
先程火を点したばかりの煙草を口にしながら目の前に腰掛けているこの男の出現で、ひとつ屋根の下で悟空と二人っきりになる事は避けられる事態になった為、それなら遠慮する必要もないか、とそう判断したようだった。
結局卓吾も悟空の意見に素直に従ってリビングに足を踏み入れ、現在に至っている。
目の前で美味しそうに煙草を燻らす男を盗み見る、漆黒の瞳があった。
表情ひとつ変えず黙々と煙草を消費するその姿は、見ようによっては卓吾の存在など完全に無視を決め込んでいるようにも見えないこともない。
―――このまま放置しておけば、二人の間を言葉が行き来する事は永久になさそうだ。
そんな状態を嫌って先に痺れを切らしたのは、やはりその若さゆえか卓吾の方だった。
ちらり、とコーヒーメーカーへと視線を送りサーバーの中のコーヒーが飲み頃になった事を確認した卓吾は、すっとその場から立ち上がった。
〜Image〜
「・・・・カップ、何処にあるか知ってますか」
突然投げかけられた質問に、あ?と疑問符付きで短く答えた目の前の男に、卓吾は僅かに苛付いた声で返したものだった。
「コーヒーカップですよ。それがないとコーヒー、飲めませんから」
ますますその苛付き度に拍車が掛かる。
大体、一目見た時から偉そうな態度が気に食わなかった。
横柄な口調で悟空に対するのも見ていて腹が立つ。
何よりも一番に頭に来たのは、この男が。
悟空の家に上がるのにお邪魔しますの一言もなくまるで自分の家に上がるかのような態度で玄関に上がった事だ。
女の子であり、尚且つ一人暮らしの悟空に遠慮して、玄関先に上がるのさえためらっていた自分に比べてこの男のこの態度はどうだろう。
家の間取りも良く知っているようで、悟空に聞くまでもなく奥のリビングへと先頭切って歩いて行ったのも気に入らない。
―――この男がこの家に来たのは、これが初めてではない。
その事実を嫌でも思い知らされた。
目の前の男が、ゆったりとした動作でダイニングの食器棚の上段を煙草で指し示して来て、カップならそこだ、と視線で促される。
尋ねておいてそう感じるのも可笑しな話かも知れないが、カップが何処にしまってあるのか、瞬時に答えられるあたりも気に入らない。
憮然とした表情で立ち上がった卓吾がそこから適当なコーヒーカップをふたつ取り出しつつ、素っ気ない声音で男に確認を取った。
「ブラックでいいですか」
折角悟空が、『俺を待ってる間、ふたりでこれでも飲んでてよ』と、自室に向かう前に自分とこの男の為に淹れておいてくれたコーヒーだ。
手を付けずに放置しておくのも気が引ける。
なのに煙草を燻らす事に専念している彼はコーヒーが出来上がっても一向に動こうとはしなかった。
だからこうして、一応客の立場である筈の卓吾がカップを取ってコーヒーをなみなみと注いでいるわけで。
コーヒーを注ぎながらもふと、煙草を燻らす男の姿を視界に入れた卓吾は思う。
―――もしかしたら、親戚の人だろうか。
ついさっきも、親戚一同がどうのこうの、って言ってたしな。
そう思いつつも、いや、そんな筈はないな、と瞬時に考えを改める。
中学生だった当時、夏休みに母方の故郷の九州に母と一緒に帰るから、その間は剣道部の練習に参加出来ないと悟空から聞かされた事があった。
一年に一度くらいは近況報告も兼ねて帰省しないと親戚一同が心配するから、夏休みを利用して母とともに帰省している。だからどうしても練習に出られないのだと、そう申し訳なさそうに話していたのを覚えている。
確かその時に、悟空に血縁関係のある親戚は全員九州に居て、近くには一人も居ない、と聞いた記憶があった。
それに親戚なら血が繋がっている筈だからどこか似ていても可笑しくはない筈で。
―――けれど。
さらさらと艶のある栗色の髪と、目に眩しく映り込んでくる金色の髪。
好奇心旺盛な彼女の性格を良く表している丸くて大きな瞳と、常に不機嫌さを漂わせているように見受けられる切れ長な紫の瞳。
眼鏡でも掛けようものならずり落ちそうな小振りな鼻と、筋の通った形の良い鼻。
ふたりの何処を見比べてみても、共通点など皆無だった。血が繋がっているのなら、多少なりとも似ているところがあって然るべき筈なのに。
どう考えても親戚とは思えない。
卓吾は早々にそう結論付けた。
悟空からふたり居る、と聞かされている姉の夫か、と考えない事もなかったが。
一度だけ中学の時の剣道部の試合の応援に姉とともに来た夫達は、もっと優しそうな雰囲気を纏った人達だったように記憶している。
だとしたら。
このふたりの関係は一体どんなものなんだろう。
実際問題として、親密な関係でなければこんなに早朝から一人暮らしの女子高校生の部屋に若い男が来たりするだろうか。
そしてそれを平然と受け止めている悟空を見ていると。
―――まさか、このふたり。
・・・・特別な関係なのか・・・・?
そんなふうに二人の仲を結論付けてしまったとしても、無理はなかったのかも知れない。
「―――おい」
色々と思考を巡らせているうちに意識がここにはなかったらしい。
突然に低い声を掛けられてはたと我に返れば、ソファに挟まれるように置かれている小さな硝子製のテーブルの上に、カップから溢れ出した茶褐色の液体が零れていた。
少々焦り気味に周囲を見回してみる。
リビングとキッチンを分ける木目調のカウンターの上に、白い布巾を見つける事が出来てほっとした。それを手にした卓吾が、零れてしまった液体を丁寧に拭き取った。
テーブルの上を綺麗にした後で、今度は零さないように最新の注意を払いながらカップにコーヒーを注ぐ。
今度は無事に淹れ終えることが出来て、安堵した。
そのうちのひとつをすっと目の前に座る男に差し出せば、男はちらり、とそのカップに視線を移すもそれに手を出す気配はなかった。
・・・別に飲んでくれなくてもいいけどね。
そんなことを思いながら目の前の男に対抗するかのように、卓吾は早速カップに手を付けた。
ブラックでいい、と彼が言うから、普段は砂糖をスプーン一杯程度入れる卓吾も何だか負けたくなくてブラックで飲んでみる。
飲み慣れない所為で幾分か苦く感じられたが、飲めない事はなさそうだった。
―――聞くべきか、聞かないべきか。
ふたりの関係を。
目の前の男の相変らず鼻に付くような偉そうな座り方を視界に入れつつコーヒーを口にしながら、卓吾は頭を悩ませている。悩んでいるくらいなら思い切って聞いてしまった方がすっきりするようにも思うのだけれど。
勇気を出して聞いてみたところで、この男が真面目に受け取って返事を返してくれるかどうかさえ分からない。
適当にはぐらかされるか、もしくは、
『てめぇには関係ねぇだろうが』
と一喝されてそれで終わってしまう可能性だってある。・・・いや、それならまだいい。
『何故そんな事を聞くのか』と。
逆に尋ねらてしまったら、何と返していいのやら。
何故目の前の男と悟空との関係が気になるのか。
実は当の卓吾にも、その理由に付いてはさっぱり検討が付かずに実は困惑しているのだから。
聞くべきか、聞かざるべきか。
さてどうしたものかと卓吾が思いを巡らせていた、その時。
「―――吸うか」
意外な一言とともに差し出されたそれは、ソフトケースの中から飛び出した一本の煙草。
突然そんなものを差し出されて訝しげな顔を見せる卓吾に、目の前の彼は、
「さっきからずっとこっち見てんだろうが。吸いてぇんだろ」
言いつつライターすら差し出して来られる。
いや、決して煙草が吸いたいから見ていたわけではなく、ふたりの関係がどんなものであるのか気になったからそれを聞こうかどうしようか迷っていたから見ていただけで。
検討違いもいいところだった。
でも、まぁ、せっかく勧めてくれているのだから、邪険に断るのもどうかと思うし。
「・・・じゃ、遠慮なく」
静かにそれだけを告げて、卓吾は素直にそれを受け取った。
右手で煙草を持ち、左手でライターを持つ姿は様になっているとは言えないまでもそう違和感はなかった。
普段から煙草など、体育会系の部に所属している卓吾には体力が落ちる事を嫌って早々縁はなかったが、それでも友人に勧められて口にした事は何度かある。
元々多少なりとも落ち着いていて年齢よりも若干年上に見える卓吾が煙草を手にしても見た目そう可笑しくはない。
卓吾の高校が制服ではなかった事も幸いした。
私服の彼は20歳を迎えたばかりの大学生、と聞かされればそれで通ってしまうような出で立ちだった。
煙草を口にし、ゆっくりと煙を吐き出したところで。
意外に気持ちが落ち着いて来た。
着替えを済ませた悟空がリビングへと戻って来たら、もう聞けなくなってしまうかも知れない。
悟空本人にふたりの関係を聞くのもいいかも知れないが、悟空が果たして真実を明かしてくれるかどうか、それは疑わしいところだった。
二人居る姉の旦那の内の一人だよ、とか何とか適当にはぐらかされて終わってしまいそうな気もする。
実際、剣道部の試合の応援で来た夫達を一度見掛けているとは言っても、顔を鮮明に覚えているわけではない。押し切られればそうなのか、と納得するしかなくなってしまう。
だから意を決して聞いてみる事にした。
「ひとつ、質問していいですか」
「・・・・なんだ」
右手に持っていた煙草の先端を見ていた卓吾の視線が、紫暗の瞳へと移動した。
しばらくテーブルの上のカップに手を付けようとはしなかった目の前の男は、ようやくそれを手に取り一口だけ中身を口にし。
そして手にしていたそれを静かにテーブルの上へと戻した。
コトンという、カップがテーブルの上に乗る音を聞きながら、卓吾は勇気を出してそれを口にする。
「悟空とは、どういった関係なんですか」
卓吾がそれを口にした瞬間に、目の前の男が緩慢な動作で顔を上げちらりと卓吾を見遣った。
その瞳が、
―――おまえに、それを言う必要があるのか。
何だかそう言っているような気がして、一瞬気圧されたように身構えた卓吾だったが、ここでいちいち怯んでいるわけにはいかない。ソファに深く座り直すと背筋を伸ばし姿勢を正した。
何となく、この男に対して弱気になるのだけは、自分自身が許せずにいる。
その質問に答える前に目の前の男は、今手にしていた煙草を灰皿に押し当て、新しい煙草をケースから取り出した。
そして卓吾の近くに置かれていたライターを手にし、その先端に灯を点す。
そのゆったりとした動作は、卓吾のそれよりも自然で違和感がない。
同じ様に煙草を口にしたところで所詮目の前の男のような雰囲気を出すことは自分には到底叶わない、という事実を嫌でも卓吾に認識させるような、そんな仕草だった。
しぱしの沈黙の後で、彼はようやく口を開く。
卓吾は彼の低い声を真剣そのものの表情でその耳に入れていた。
「悟空の母親の事は知ってるか」
「はい。亡くなったって、昨日聞きました」
「その母親が入院していた時に、頼まれたんだよ。―――娘をよろしくってね」
「・・・・・」
母親が亡くなる以前に、この男に頼んだのだと言う。
娘をよろしく―――言い換えれば、自分の代わりに娘を気に掛けてやってくれ、と。目の前に座るこの男に。
死を目前にした母親が大事な娘をこの男に託したのだ。
この男はそれ程までに母親に信頼されていたという事になる。
―――血縁関係のある親戚に頼むのが本来の筋だと思われるのに。
一体この男は母親にとってどんな存在であったのだろうか。
卓吾が俯き加減で色々と思考を巡らせているのを他所に、彼は煙草の煙を静かに吐き出しながらゆっくりとした口調で今までの経緯を話し始めた。
母親の葬式時に悟空の今後の身の振り方について親戚一同で話し合いをした際に、誰にも迷惑を掛けたくはないから、と悟空自ら一人暮らしを申し出た事。
そして悟空のその意見はまだ未成年である悟空の身を案じて親戚一同から反対された事。
けれどそんな親戚一同を説き伏せたのが、今卓吾の目の前に居るこの男だと言う事。
悟空の家に自分が立ち寄って、その生活ぶりを実際に目にした上で、何か問題が浮上すれば逐一親戚に報告する。
それが悟空の一人暮らしを親戚一同に承諾させる為にこの男が出した提案だったのだと。
目の前の男はそう卓吾に説明した後、一呼吸置いて続けてこう口にした。
「卒業して無事社会人になるまではどうしたって保護者が必要だろう。とりあえず卒業までは面倒を見るつもりでいる。母親もそれを望んでいたからな。・・・・だが」
そこで一度言葉を切った後、目の前の男の視線がふっと壁時計のある方へと流れていく。
こうしている間にも、時間は刻々と過ぎて行く。
何時までもリビングに現われない悟空を気に掛けているのだろう、と卓吾はそう判断した。
時計から自分の手元にある煙草へと視線を戻した彼は、話の続きを口にする。
「あくまでも卒業までの暫定的措置だ。その後は社会に出ようが結婚しようが、悟空の好きにして構わない。そこから先はあいつが自分の責任に置いて行動すべきで、俺は一切干渉するつもりなない」
卒業までの期限付きの、保護者と被保護者。
目の前の男は、二人の関係をそう断言した。
予想していたよりも真摯な態度で返事を返してくれた彼に意外性を感じた。と同時に卒業後の悟空の身の振り方に対する彼の突き放したような態度にも、意外性を感じた卓吾だった。
一人暮らしの悟空を心配して彼女を態々早朝から起しに来るぐらいだから、少なからず特別な感情があってここに来ているのだとばかり思っていたから。
しかし、単に亡くなる以前に悟空の母親と交した約束を守ってこんな行動を取っているのだとしたら、この男相当に律儀な男だったりするんじゃないだろうか。
いくら生前に約束を交したと言っても、ここまで律儀にその約束を守る、という事は常軌を逸してるような気がしないでもない。
考えられる仮説を、卓吾は頭をフル回転させて色々と立ててみた。
そのうちのひとつの仮説が妙に卓吾の中でヒットした。
―――もしかしたら。
悟空の母親とこの目の前の男こそが、特別な関係にあったんじゃないだろうか。
それなら納得はいく。
愛する女性に亡くなる直前に、それこそ彼女自身の命よりも大切な存在である娘を頼まれてしまったとしたら。
この男が律儀に約束を守ったとしても、理解出来ないことはない。
悟空の母親とこの男とでは相当に年齢差がありそうだが、確か悟空の母親は実年齢よりもかなり若く見えたように記憶している。
―――有りえない話じゃなかった。
「まぁ、おまえが心配しているような関係じやない事は確かだ。安心しろ」
口の端を僅かに上げて意味深な台詞を吐く男の顔を卓吾は改めて見返した。
悟空と目の前の男が特別な関係があったからといって、なんで自分が心配しなきゃならないのか。
心配などこれっぽっちもしていない、とそう視線に乗せて目の前の紫暗を睨み付けた。―――けれど。
ひとつだけ、卓吾自身にも分からないことがあった。
何故、自分はふたりの関係を問いただすような質問をこの男に浴びせたのだろうか。
・・・・きっとあれだ。
部活が一緒だった所為で何かと交流のあった彼女の家に、突然若い男が平然と入り込んで来たから、少々驚かされて、興味本位に聞いてみたくなっただけの話だ。
自分のこの複雑な今の心境を、卓吾はそう解釈する事にした。
そんなことよりも何よりも、今この男が自分を「おまえ」と呼んだことを卓吾は聞き逃さなかった。そんなふうに呼ばれるのは、例え相手が目上でもどうにも納得がいかない。これは訂正を促すべきだろう。
そう結論付けた卓吾は、早々に彼に反論を切り出すことにする。
―――初対面の人におまえ呼ばわりされたくない。不愉快です。
卓悟が腰を浮かせてそう言い返そうとした、その台詞はまだすべてを言い終わらないうちに、中途半端に終わりを告げる事となる。
何故なら、ようやくリビングに戻って来た悟空が発したけたたましい声に、その台詞は掻き消されてしまったからだ。
「あーっ!何やってんだよ、卓ちゃん!高校生が煙草なんか吸っていいと思ってんの!?」
すっかり登校の準備を整えた悟空がリビングに入って来ての第一声が部屋の中を響き渡った。
手にしたカバンをソファの空いている場所にぽんと置くが早いか、卓吾の手元にあった煙草を取り上げるのが早いか。
悟空はすざましい勢いでべらべらと捲くし立てて来た。
「ったくもう。ダメじゃんよ。どうせ三蔵に勧められて卓ちゃん吸っちゃったんだろ?三蔵も三蔵だよ、なんで勧めるんだよ、相手は高校生なんだよ。未成年に煙草勧めた罪で一級建築士の資格剥奪させてやろうか?」
・・・・んな事で剥奪されて溜まるかよ。
と呆れたように呟いたのは卓吾の前に座るその男で。
もう、卓ちゃんも勧められたからって簡単に吸っちゃだめじゃん、とぶつぶつ言いながらテーブルの上に置かれていた灰皿に取り上げた煙草を押し当てているが悟空で。
そんな二人を視界に入れつつも、煙草を悟空に取られてしまったから仕方なくコーヒーでも飲むか、とカップに手を掛けようとした卓吾だったが、はたと何かに気付いたように突然立ち上がり、先程の悟空に負けず劣らずの大声を張り上げた。
「・・・三蔵!?一級建築士・・・!?」
幼い頃から、自宅の事務所で設計の仕事をしている父の仕事ぶりを見ながら育ち、将来は自分も建築関係の仕事に就こうと決意し、建築専門の学校に通っている卓吾だ。
毎月発行される業界関係の本も熟読している分、建築業界には精通している。
若くして数々の大物の設計に携わっている彼の名は、嫌でもその目に入って来ていた。
「銀座に建てられた省エネルギーオフィスビル設計した玄奘三蔵って・・・・、あんたか!?」
「―――よく知ってるな」
突然目の前の少年が思いも寄らない事を口にした所為で、些か驚かされたのか彼の紫の瞳が訝しげに卓吾を見遣った。
元は数社の社屋が立ち並んでいた場所であったのが、老朽化が進んだことによりその社屋をすべて取り壊した。そしてその広大な跡地につい最近建設された、最新の省エネルギー設備が整えられている巨大なオフィスビル。
数々の省エネルギー対策の施された設備を設置している割には低コストで建設されている上、その洗練されたデザイン性の高さが業界でも評判になったオフィスビルだ。
その設計を任された、数人の設計士の中で、一番の若手が彼だった。
この若さであの巨大なビルの建築プロジェクトに組み込まれる。
それは彼の実力が、建築業界の中でも相当に認められている、という事の証だった。
卓吾が憧れている、何人か居る建築設計士のうちの一人なのだ、今目の前にいるこの男は。
それを知る事となった卓吾は、一気に力が抜けたようにソファの上に崩れ落ちるように腰掛ける。
そしてそんな卓吾の様子を視界に入れつつ煙草の煙を美味しそうに吐き出す若き一級建築士―――玄奘三蔵がそこに居た。
三蔵の正体を知らなかった卓吾視点で書き続けていた為、
最後の最後、三蔵の名前が明かされるまで、
三蔵の事は「卓吾の目の前に座る男」という表現で通しました。
三蔵対卓吾編。
如何でしたでしょう。
私が好きなのは三蔵が卓吾に煙草を勧めるシーンと、
卓吾がそれを受け取り吸うシーンですね。
何やら妙に似合うな〜と。
毎回更新激遅ですみません・・・。