I want to touch you.
ついさっきまで歩いていた廊下の床はごく普通の何の変哲も無い、如何にも病院らしい冷たい印象のあるそんな床でしかなかったのに。
今しがた和希の手によってドアの開け放たれたこの病室の床といったら。
足元が滑る事のないように考慮されているのか、毛先の短い真紅の絨毯が敷き詰められていて。
天井の照明は通常病院にあるようなシンプルな蛍光灯のそれではなく、やたらと高価そうな装飾品の付いたシーリングタイプのものだった。
肝心のベットはといえば普通病室で見られるようなパイプベッドなどではなく、これも如何にも高価そうな木材を使用して作られた特注品らしきベッドで。
見舞い客用の椅子だって丸椅子なんかじゃない。壁際に備え付けられたそれは高級感のあるベージュのふかふかなソファだった。
此処は一体何処の高級ホテルの一室かと見紛うようなその病室の中の様子に、啓太の瞳が丸味を帯びる。
呆気に取られた感のある啓太の表情をちらりと視界に入れた和希が、小さく苦笑したのに気付いた啓太はその表情を崩さぬままで和希に質問した。
「・・・凄いな。ここ、特別室かなんか?」
「うーん?――そうだなぁ」
そう呟きながら啓太の隣に位置していた和希はベッドサイドへと移動した。そしてこれも如何にも高級そうな羽毛布団をぱさりと捲り、ここにおいで、とベッドの上をぽんぽんと叩く。
もしこれが学園寮の和希の部屋のベッドで行われた行為だったら、啓太を誘っているとも取れるような艶めいた和希の仕草だったが。
―――ここは病院だ。体調の思わしくない啓太の身体を気遣って布団を捲ってくれたのであり、他意はないだろう、きっと。・・・多分。
「特別室と言うより、VIPルームと言った方が適切なのかも知れないな」
素直にベッドの中へと身体を横たえた啓太の様子に満足気な笑みを乗せつつその身体の上にそっと布団を落としてから、ベッドの端に腰掛けた和希が先程の啓太の質問にそう答えて来た。
やはり和希に他意はなかったらしく、啓太に触れて来る気配は微塵も感じられない。
啓太としては、ほっとしたような。
・・・・ちょっと残念なような。
そんな複雑な思いを抱えつつも、啓太は和希に更に質問を重ねていった。
「VIPルーム?何だよ、それ」
「この病室は鈴菱の人間しか使えない病室なんだ。一般の人はこの最上階のフロアに入る事さえ出来ないんだよ。だからVIPルーム」
言い終わった後でほら、と和希が差し出したものは一枚のカードだ。エレベーターの中にあるセキュリティシステムにこのカードを通すと最上階のボタンが押せるようになると言う。そしてこのカードを持つ事が出来るのは当然鈴菱の人間とこの病院の職員だけだと説明してくれた。
「・・・・金持ちのする事って、凄いよなぁ」
溜息とともに思わず出てしまった、今の台詞。
和希に嫌味に取られたかも知れないと感じ自分の足元に腰掛けている和希の顔を覗き込んだ啓太だったが、特に気分を害した様子はなさそうだったからほっと胸を撫で下ろした。
実際、ここまでのセキリュティを施さなければならないのにはそれなりの理由があっての事だろうが、あくまでも一般人でしかない啓太にしてみればこの部屋の調度品はあまりにも贅沢過ぎやしないかと否定的な思いがなかったと言えば嘘になる。
それに一般の人間をまるで排除するかのようなこの部屋の存在は啓太にとっても正直面白いものではない。だからついああいった台詞が飛び出してしまったわけで。
そんな啓太の珍しく棘のある台詞を受け止めた和希が宥めるかのような声で啓太に囁き掛けて来る。
「まぁそう言うなよ、啓太。こういった病室は、どうしても必要なんだよ。―――特に鈴菱の人間にはね」
「何でだよ?」
何でだよ、と呟いた啓太の口調にやはり棘があるな、と感じた和希が小さく笑った。
何故和希が笑ったのか理解出来ずに啓太の顔が僅かながらムッとしたが、それすらも和希にとってみれば愛らしい仕草としか映らない。
ほんと可愛い顔するよな、と思いつつもそんな事を口にらしたらまた怒られそうだからその件に関しては一切触れずに和希が話し始めた。
「―――例えば、鈴菱の現社長兼会長である俺の父親が倒れたとする。で、そのまま何の策も施さずにその辺の一般の病院のお世話になったとするだろ?そうすると、何処から情報が漏れるのかこれが不思議なところなんだけど、鈴菱のトップが倒れたらしいという情報がマスコミに流れるんだ」
そこまで一気に話したところで啓太の顔に視線を送れば、案の定、呆けたような顔でこちらを見返してくる瞳とかち合ってしまう。その顔があまりにも可愛らしかったから、少々悪戯心を起こした和希が啓太に質問を仕掛けて来る。
「で、その結果―――どうなると思う?啓太」
「・・・・どうなると思うって・・・・、」
一介の高校生でしかない啓太にこんな質問を浴びせたところで瞬時に答えなど返って来る筈もなく。
バツが悪そうに口篭った啓太に代わって和希自らが答えを提示した。
「鈴菱の株価が一気に暴落するんだよ」
鈴菱グループと言えば経済界は元より政治界でも相当な権力を持つ企業グループだ。
そんな企業のトップが疾病中であると世間に知れ渡る事は多大な影響力をもたらす。
トップの交代もありうるのではないか、そうなれば鈴菱の社内はしばらくの間混乱するかも知れない、そう考えた株主がこぞって株を売り払う、イコール株価が暴落する。
それにより鈴菱の経営状態が悪化するばかりか、全国に多数存在する株主達にも相当な影響力を与えてしまう。
何せ鈴菱の株が変動すればそれはもう億単位、いや、それ以上の金額の損失が出ても可笑しくは無いのだから。
そんな内容の話を高校一年生である啓太に分かり易く話すのは相当に骨が折れたけれど、啓太も理解しようと懸命に耳を傾けてくれるのだからと、和希もその熱意に答えるようになるべく啓太にも分かり易い易しい言葉を選んで真剣に説明した。
一通りの説明を終えた、その後で。
「―――だから、マスコミに自分の病状が知れ渡る事がないように、鈴菱の上層部の人間がお忍びでこの病室に来るんだよ」
・・・・分かったか?と。
啓太に確認を取るように、そう尋ねてみれば。
「うん、それは、何とか分かったけどさ」
・・・・本当に分かったのかよ、と和希が口にする前に、先に啓太に血気盛んに尋ねられてしまった。
「だからって何でこんなに豪華にする必要があるんだよ?」
そんなふうに言われてしまったから。
あらためて周囲を見回してみた和希だったが、確かにこの部屋に揃えられた調度品の数々は、病院の一室とは思えない程無意味に華美であるのは認めざる負えなかった。
「―――うーん、確かに必要ないよな。これはうちの両親の趣味なんだ。許してやって」
しかしあんまり趣味良くないよなぁ、ともう一度周囲を見回しつつ高らかに笑いながら和希が言うから。
最初は何となく鼻に付いたこの嫌味な程の高級志向も、何だかどうでも良くなって。
「あのさ、俺、思いっ切り一般人なんだけど。使っていいの?ここ、鈴菱専用なんだろ?」
先程からずっと気になっていたそれを和希に確認すれば。
「構わないよ。だって、俺にとって啓太は―――家族以上に身内だからね」
そんな台詞をさらりと言われてしまって。
何と返したら良いのか、分からなくて。
啓太がはにかんだように俯けば、和希はこれ以上もなく優しく微笑んだ。
―――幼い少年達が皆そうするように。
同じ歳の子供達と一緒に外を走り回った記憶など和希の子供の頃の記憶には、一切なかった。
『将来はおまえが鈴菱を背負っていくのだ』―――と。
物心付いた時から父親に言われ続けていたから、それに対して何ら疑問も抱かずに幼少期を過ごして来た。
そんな和希に対し、自分に有益になると判断した大人達はこぞって和希の側に寄って来たものだったが、それに相反するように和希と同年代の子供達は和希に気軽に声を掛けるような事はしなくなっていった。
彼は、鈴菱グループの後継者だから。
一般人とは住む世界が違うから。
だから、近寄らない方がいいのだと。
そんなふうに、親から戒められていたのかも知れない。
それでも、和希にとってそれで不都合な事は何もなかったから。
これでいいんだと、そう感じていた。
いや、そう思い込もうとしていた。
―――そんな時。
目の前に現われたのが、啓太だった。
和希の住むこの土地の住人ではないようで、啓太は和希が鈴菱の人間である事を知らないようだった。
屈託の無いの笑みを見せ、『遊んで』と強請る啓太を誰が邪険に出来ただろう。
最初は乗り気ではなかった和希が、気が付けば夢中になって子供らしい遊びに高じていた。
新鮮だった。
啓太の前に居る自分は、『鈴菱』という重い枷がすとんと抜け落ちて。
ただの、普通の少年でしかなかったのだから。
和希にとって、和希が和希らしく自然に振舞う事が出来たのは。
伊藤啓太とともに在る、その空間だけで。
―――だから。
理事長職に就任してからというもの、和希は学園に啓太を呼び寄せたいと切に願うようになった。
啓太の側で、啓太とともに。
―――自分を見失う事なく、自然に生きていく為に。
「俺が子供の頃なんて父親は仕事に追われてたし、母親は編物教室の経営でほとんど家に寄り付かなかったし。ああ、でも誤解するなよ。二人とも仕事のない時には凄く俺を可愛がってくれたんだ」
普段一緒に居てやれない事を詫びるかのように、和希の両親は休日になると和希をあちこちに連れ出した。
たった一人の息子だった所為か、母親は和希を溺愛していた感すらあった。
それでも日常的な寂しさはやはり拭い切れなかった。だから和希の側にはほとんど居る事のなかった両親よりも、気が付けば常に自分の近くに存在していた啓太へと情が移っていくのを和希自身自覚しないではいられなかった。
「あの頃、俺の側に啓太が居てくれて俺は本当に救われたんだ。それこそ血の繋がった家族よりも一緒に居る時間が長かったからぐらいだからね。だから」
―――俺にとって啓太は家族以上の大切な存在なんだよ・・・・?
啓太の足元付近で腰掛けていた筈の和希が、何時の間に移動したのか啓太の顔を覗き込める位置に居て耳元に吐息とともに囁き掛けて来る。
その声は今まで啓太が耳にしたどの和希の声よりも、優しくて甘美だ。
「・・・ん・・っ」
耳たぶを甘噛みされたから啓太の口から甘く切ない吐息が漏れた。
幾らなんでもその先へは進まないだろうと思われた和希の行為は予想を反して続けられる。
つつっとシャツの中に手が入ったところで啓太が待ったを掛けた。
「・・・・ちょっと、和希。ここ、病院。それに俺は病人なんだからな」
「―――病人?・・・こんなに元気なのに?」
「元気って・・・・、・・・・!」
元気なのに、と言いながら和希が触れたソレが何なのか、はたと気付いた啓太の顔が一気に上気した。
耳たぶを甘噛みされたくらいでこんなに反応してしまう自分が情けなくて仕方ない。
和希の仕事が忙しくてしばらく会えなかったから、当然こういった行為もご無沙汰で。
だから和希の些細な悪戯にも身体が過剰反応してしまっているのかも知れない。
「ふぅん。俺がちょっと触れただけでこんなになっちゃうんだ」
満足気に和希が言うから。
「悪いかよ」
顔を赤らめながらも、それでも虚勢を張って睨み付けてみれば。
「全然悪くない。―――可愛いよ、啓太」
そんな台詞を照れもせずに告げられてしまう。。
・・・・ああ、言われちゃったな、とそう啓太は思う。
この台詞は啓太にとって殺し文句以外の何物でもない。
繋がる直前に良く言われる台詞でもあったから、何でもない普通のシーンでコレを言われると困ってしまう。啓太の頭の中にベッドの中でそう言われた瞬間の映像が蘇って来てしまうからだ。だからつい顔が紅くなってしまい、周囲の人間に訝しげられるという啓太にとってはこの上なく厄介な台詞でもあった。
首筋に口付けて、くすぐったがって身を捩る啓太を視界の隅に入れながら。
「俺、啓太の両親には、本当に感謝してるんだ」
和希に突然告げられた台詞に、啓太が首を傾げて尋ねて来る。
何故こんな甘美な状況下で自分の両親の話が出て来るのか、理解出来なかったから。
「俺の両親に感謝・・・?なんで?」
「俺は小さい頃の啓太しか知らなかったからね。理事長権限を使って啓太を呼び寄せたものの、啓太がどんな少年に成長してるのか、分からなかった。だからすごく不安だったんだよ。―――でも」
「・・・でも?」
その台詞の先を催促されて。
見上げて来るその表情が愛らしくて、和希は啓太の唇にそっと自分の唇を落とした。
啄ばむような口付けを楽しんでから、ゆっくりと唇を離した和希がその先の台詞を口にする。
「会ってみたらこんなに可愛くて。誰よりも素直に育ってて。両親にもの凄く愛されて育ったんだなって、そう思った。じゃなきゃこんなにいい子に育たないよ」
―――そんなふうに和希に言って貰えて。
正直凄く照れ臭いけれど、それでもとてつもなく嬉しい。
けれど、やはり何時までたっても保護者気取りの子供扱いはやっぱり、許せなくて。
「いい子って・・・・、一体いくつだと思ってるんだよ。子供扱いすんなよ」
そう言いつつ啓太がすねて見せれば、また楽しそうに和希が笑う。
「子供だなんて思ってないって。そう思ってたら・・・」
言い終わらないうちに和希に仕掛けられたキスは、先程のキスとはまるで違う。
舌先でつつかれて口を開けろと催促されて、観念して唇を開けば容赦なくそれは啓太の舌を絡めとった。
そのあまりの激しさに付いていけなくなりそうになりながら耐え切れずに切ない声を漏らす啓太の様子に気付いた和希がようやく唇を解放した。
そして啓太の髪を撫で付けながら台詞の続きを甘く囁いて来る。
「―――こんな事出来ないって、前にも言ったろ?」
息を整える事も出来ずに肩で息をしていた啓太が、堪え切れずに和希の首に手を回して来る。和希の仕掛けてくる口付けに翻弄され煽られてしまったらしい。
「・・・・責任、取れよな」
照れ臭そうに、俯いたまま啓太が呟けば。
「でも啓太、身体は大丈夫なのか?」
和希が心配そうな顔で尋ねて来るから。
「ここまで煽っといて今更そんな事言うなよ」
言いながら和希に抱き付いてやる。
和希もそんな啓太を抱き止めながら快心の笑みをその表情に乗せた。
―――しかし。
そのまま続行されるのかと思われたその行為は、そこで和希の動きが止まった事により続けられる事はなかった。
「・・・・和希・・・・?」
微動だにしない和希に声を掛けその表情を伺ってみれば、和希の視線の先には病室のドアがあり。
啓太もつられてドアの方へと視線を移してみる。
閉められていた筈だったドアが開いていて、其処に立っていたのは。
「診察に伺ったんだが・・・・・」
そう呟いた、白衣を纏った長身の医師だった。
しっかりと抱き合っている二人のその様子を見届けて、まだ20代後半かと思われるその医師は縁なしの眼鏡の奥の瞳を瞬時に細めた。そしてその直後。
「―――出直して来ようか?」
あくまでも冷静に、そう告げる彼の態度が返って怖かった。
この鈴菱専用の特別室には、簡単な診察なら態々診察室に行かなくても済むように最低限の医療設備は整っている。折角病室を一般人から隔離しても、一般病棟で診療を受けるのではお忍びでこの病院に来た意味がなくなってしまうからだ。
この病院に着く前に和希が携帯で連絡を取った時には、内科の外来が混んでいるから病院に着いても啓太の診察はしばらくの間待って貰うようになるかも知れない、と看護師にそう告げられた。だからまだ今しばらくは二人っきりで居られるだろう、と予測し啓太に悪戯を仕掛けて煽ってしまったわけだが。
どうも、外来の診療が予想したよりも早くに終了してしまったようだ。
啓太は真っ赤になって俯くし。
和希は啓太の背中に回した手をどうしようかと考えあぐねていまだフリーズ状態で動けずに居るし。
―――思い切り不測の事態に陥ってしまった。
そんな二人を見て笑い出したのだ、医師が。
笑うなんて失礼だろう、とそう言いたげに睨み付けて来る和希に対して、その医師は意外にも優しい笑みを返しつつ告げて来る。
「俺はそういった事には割と理解がある方だ。だからそんなに固まらなくても大丈夫だよ」
その言葉にほっとしたわけでもないだろうが、啓太の背中に回されていた和希の腕がすっと離れた。それを見届けた医師がゆったりとした歩調で病室の中に入って来る。
彼の言うそういった事、というのが、ここが病室であるのにも関わらず二人が抱き合っていた事を指しているのか、それとも男同士であるのにも関わらず抱き合っていた事を指しているのか。
そのあたりはどうにも判断が付きかねるところではあったが。
近くに来たからよくよく見てみば、多少冷たい印象は受けるものの整い過ぎるぐらいに整った顔立ちは目を引くものがあった。しかし如何せん先ほどから無遠慮に啓太の方へと視線を送る彼の態度は、和希の警戒心を煽るのに十分過ぎた。
何やら一癖も二癖もありそうなこの医師に危険めいたものを感じながらベッドから降りた和希は、その医師の行動を監視するかのようにじっと見詰めていた。
すっと伸びた医師の手が啓太のシャツのボタンを開けていくその仕草がまず気に入らない。まるで和希を挑発するかのような医師のその態度に思わず憤慨した。
だから。
「・・・啓太。ボタンくらい、自分で外せるよな?」
先程までの甘い台詞を吐いた時の声とは180度違う低い声で和希が言う。
言いながら自分に厳しい視線を送って来る和希に、医師はくすりと小さく笑った。
「理事長のあんな怖い顔初めて見たよ。彼は相当に君が大事らしいな」
「え・・・っ、いや、あの・・・・そんな事、ないです」
和希の言いつけを守り啓太自身の手により肌蹴られた胸に聴診器を当てながら医師が囁いた一言に、馬鹿みたいに素直に啓太が反応して口篭る。
そしてやっと治まって来た顔の赤味がまた復活してしまうのだ。
そんな啓太の顔を視界に入れた医師がまた、
「・・・・へぇ、可愛い反応するね。これは理事長が夢中になるわけだ」
と感心したように啓太の顔を見詰めるから、和希としてはもう居ても立ってもいられなくなった。
「うちの学園の校医はどうしたんですか。俺はあの人に診察をお願いした筈ですけど」
携帯電話でこの病院に連絡を取った時に、今日の外来担当の内科医は学園の校医である事を確認したから和希は安心してここに来たのである。
BL学園の校医は長年内科専門で患者を診療して来たベテランの医師だった。だから彼になら啓太を任せても安心だろうと、和希自身にそんな思いがあったから態々この病院を選んで来た。なのにこの病室にやって来たのは、健康診断の頃になると学園に顔を出す何時もの老齢の校医ではなく、こんな若い医師だったら正直和希は面食らっていた。
「あの先生は外来終了後に緊急のオペが入った。だから代わりに俺が借り出されたんだよ。・・・俺じゃ不服かな?」
故意に煽るようにちらり、と和希を見遣る医師と。
今まで一度もお目に掛かった事のないような剣のある視線を医師に送る和希と。
―――一触即発の危機。
そんな言葉が啓太の頭の中を巡っていた。
心音も脈拍も特に問題なし。
風邪でもひいたのかと口を開けさせて扁桃腺の腫れがないか確認するも異常なし。
それならば血液検査をしてみよう、と。
和希から早々に視線を逸らし、啓太の腕に管を巻き付け血管を浮き上がらせ難なくすっと其処に注射針を指す彼のその仕草はやはり医師らしい行為だったが。
「さっき診察した時も思ったけど。君綺麗な肌してるね。・・・・女の子みたいだな」
などと遠慮なく囁くあたりは医師らしくはないと言うか、少々喋り過ぎと言うか、これじゃまるで軟派じゃないか、と文句のひとつも言いたくなるような。
「・・・・武藤先生」
明かに不機嫌なのだと訴え掛けながらそう呟く和希の視線を受け止めて。
啓太の腕から採取した血液を試験管に移し振って攪拌しながら、その医師―――武藤が実に楽しそうに返事を返して来た。
「理事長が俺の名前を覚えてくれているとは思わなかった。実に光栄だな」
「覚えていたわけじゃない。たった今白衣に付いてるネームプレートを見ただけです」
「・・・・あ、そう」
「啓太をからかうのは止めて頂けませんか。非常に不愉快です」
「不愉快な思いをするのは啓太君?・・・それとも、君・・・かな?」
―――なんなだろうか、この男は。
多分に武藤は自分よりも年上だろうと気を遣い敬語を使っている自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
大体初対面、それも患者である啓太を伊藤君、ではなく啓太君と呼んだ事からして気に入らない。
相変らず痛い程の手厳しい視線を送りつけて来る和希の姿を視界に入れた武藤はやはり実に楽しそうだ。
一度だけ啓太にちらりと視線を送った後で、血液検査の結果が出るまでは10分程度時間が掛かるからとそう告げて武藤は踵を返し病室の出口へと向かう。
そして、ドアを開けて部屋を出て行く直前にこう言い残していった。
「検査結果は看護師に持って来させる事にするよ。理事長はどうも俺の事が気に入らないみたいだからね」
そしてダメ押しとばかりに続けられた一言に、先程から武藤に感じていた和希の警戒心は一気に頂点に達していく。
「そうそう。今度の健康診断から、俺が学園の校医を勤める事になったから。―――よろしく、理事長」
ぱたんと閉まるドアの音を聞きつつ、武藤が完全に病室から姿を消したのを見届けた和希は、急いで上着のポケットから携帯を取り出していた。
冗談ではない、とそう思う。
あんな危険人物を啓太の近くには二度と近付かせたくはない。
数人居る秘書のうち一番の側近である人物を電話口に呼び出して、学園の校医に関する決定事項に医師の変更はあるのかと確認を取れば、今まで校医をお願いしていた老齢の医師が現役引退する事になり彼が抜擢されたのだという経緯が判明した。
実はこの病院の内科医は彼以外にあと二人存在するのだが、そのうち一人は女性で非常勤で働いており、もう一人はまだ研修医らしいのだ。だから校医に適切な医師といえば武藤以外にはいないのだと言う事実も聞かされた。
幾ら和希が理事長とはいえ彼が気に入らないからと、そんな理由だけで理事会の決定を覆すわけにもいかず。
こういった事項は本来理事長である和希はノータッチだったから、今まですべて理事会に任せて来たのに今回の決定に関してだけに口を挟むわけにもいかず。
・・・・・八方塞りだな。
そんな事を考えながらふっと前方に視線を送れば。
武藤との一触即発の遣り取りに不安を感じたのか、心配そうにこちらを見遣る啓太の視線と出くわした。
「・・・和希?大丈夫か?」
あまりにも見上げて来るその瞳が真剣だったから、大丈夫だ、と意思表示をするかのようにその身体を抱き寄せた。
そして。
「病人に心配されてるようじゃ世話ないよな」
そう呟きながらも、心の中では。
―――俺はおまえの方が心配だよ。・・・・啓太。
そんな悲痛な声が囁かれていたようである。
そして。
まだこの時点では、学園の定期健康診断が実は後一ヶ月後に迫っていた事に。
全く気付いていない、和希だった。
宋(←39ノベルに登場のオリキャラ)の次は武藤。
オリキャラを登場させるのが大好きな私。
武藤みたいなタイプ好きなんですよ〜。(←また・・・)
なんとなく、宋に似てる感じもするかな、と思ったりもします。
啓太、狙われてますよ?さぁ、どうする和希!
とりあえずここで一旦終了しますが、その後の話はまた後日書きたいと思います。
和希と武藤の小競り合い書いてる時が一番楽しかったです。
最後まで読んで下さってありがとうございました。