〜未来〜


平和である事に、慣れ過ぎていた感は確かにある。
たまたま自分が産み落とされたこの国が、ここ数十年戦争というものなどとは遥か無縁の場所にあった、というだけの話で。

―――戦争まで行かずとも。
今、こうして普段となんら変わらない生活を送っている瞬間にも、世界のあちらこちらで紛争が起き、幾人もの人間の血が流されているという現実。
特に知りたいとは思わずとも、朝な夕なに時計代わりに流しているテレビのニュース番組が、毎日のようにそんな各国の映像を流してくれるのだから、嫌でも視界に入って来るのだ、それは。

そんな状況下の中、第2次世界大戦終結後、数十年に渡り世界大戦が勃発せず、とりあえず平穏な日々を送る事が出来たその理由のひとつは。
以前の第2次世界大戦時よりも、遥かにその殺傷威力の向上(この場合、向上したという言い方は使うべきではないのかも知れないが)性の見られるであろう核技術の所為ではないか、と、そう考えていた。

多分に、一国の上層部の人間がボタンを一押しするだけで、人類共々地球上の陸地の大半が水没してしまうような、そんな壊滅的とも言える威力のある核兵器を作る事など現代人の技術をもってすれば容易い事である筈で。

だとしたら、ボタンを押した上層部の人間本人ですらその命を危険に晒す事となる可能性は大きい。
だから、相当に信頼性のある高性能な核兵器シェルターでも出来なければ、核ボタンが押される事などないだろう、とそう踏んでいたのだが。

「・・・出来たのかも知れねぇな」

三蔵の呟きに敏感に反応して、側でテレビのニュース番組を見ていた悟空が振り返り、何が?と小声で尋ねて来る。
見ているこちらがその甘さに胸焼けを起こしそうな程の砂糖をコーヒーカップに入れながら。
ちらりと悟空を見遣った三蔵の顔は相当に眉間の皺を増やしていたようだ。その顔を見るなり笑って悟空が言うのである。

「そんな顔しないでよ。甘くて美味いよ」
「良くそんなものが飲めるな。今、角砂糖6個入れただろ」
「入れてねぇよ。・・・5個だよ」

―――5個も6個も大差ねぇだろうが。

言い返してやろうと思ったが、悟空の視線がテレビの画面へと移動したのに気付いて三蔵はそれを口にするのを止めた。
その画面の中に居る女性アナウンサーが、悲痛な面持ちで告げているのを、悟空は意外にも冷静な表情でそれを見詰めている。

2日後に爆弾が投下されるように設定された核兵器投下のボタンが押されたらしい、と。
今現在、先進各国の核兵器の研究家達を総動員させ、投下が実行される2日後を迎えてしまう前にに何とかそれを食い止めようと努力している最中なのだ、と。

―――だから悲観するな、と。
人類は必ず助かるのだ、と。

何を根拠に「必ず助かる」と言えるのかは皆目不明だが、その女性アナウンサーは顔を強張らせつつも希望的観測とも言えるそんな台詞を口にした。

三蔵も悟空も、今の衝撃的とも言えるそのニュースを見てもそう驚く事はない。
すでに一ヶ月も前からその噂は流れていたから。
そろそろ本格的に、第3次世界大戦が勃発しそうだ、とか。
核ボタンを押すために、ある国の首相が軍事施設に入ったとか。
そんな噂がまことしやかに流れていたのだ。

もうその話には興味がない、と言わんばかりに悟空はリモコンのスイッチを押して画面を消した。

「・・・で?何が出来たんだよ?」

悟空に突然問われて、何の事だったか、と問い返す前に思い出した。
核兵器シェルターの事だったな、と。

「いや、何でもねぇよ」

そう素っ気無く返してやったら、案の定思い切り膨れっ面になる。
後2日で人類が滅びるかも知れないというのに、相変わらず悟空は悟空のままで、何ら変わりはなかった。
あくまでも前向きな性格だったから、ニュース番組に登場した女性アナウンサーのように、人類は必ず助かるのだとそう信じて疑ってはいないのかも知れない。
実際、三蔵自身もそう悲観はしていない。
必ず、投下を阻止する方法がある筈だと、そう踏んでいるからだ。
何故なら、ボタンを押してから投下までの2日間の猶予がそれを物語っていた。

投下を阻止する方法をボタンを押した張本人の口から聞き出すのに成功するのが早いか。
核が投下されるのが早いか。

―――どちらが先か。

多分に、前者の方が先だろう。
本気で世界を滅ぼす覚悟があるのなら、2日間の猶予などいらない。
ボタンを押した直後に即刻投下するようにすべきであったのに、それをしなかったのは。
全世界を滅ぼす覚悟が、ボタンを押した本人にはなかったと言う事だ。
自分の指が押したボタンが全世界の人間を抹消するのだ。

―――それには生半可ではない覚悟と勇気が居る。

「なぁ、今日は仕事、行かなくていいんだろ?」

幾分か弾んだ声で悟空が言うのに、三蔵は顔を上げて、ああ、と返事を返してやった。
生きるか死ぬかのこんな状況で仕事が手につく方がどうかしてる。
ある程度状況が落ち着くまでは、働く気など更々なかった。

「じゃあ、ずっと一緒に居られるね」

実に嬉しそうに言いながら悟空は擦り寄ってくる。
幾ら前向きで楽観的な悟空でも、今回の件に関しては多少なりとも不安感はあるのだろう。
その不安感を拭ってやりたくて、抱き寄せてやれば安心仕切った顔で凭れ掛かって来る。

「―――怖いか」

と、尋ねてみた。
不安がらせたくはなかったから、三蔵にしては常よりも相当に優しい口調で尋ねたつもりだ。

「三蔵と一緒だから怖くない・・・・と言いたいところだけど。ちょっと怖いかな、正直言うと」
「でも、何とかなると思ってんだろ」
「うん、思ってる」
「まぁ、実際何とかなるんだよ」
「その根拠は?」
「・・・根拠なんざ何もねぇ」

そう、根拠など何ひとつない。
それは先程ニュース番組に登場した女性アナウンサーと同様、希望的観測を述べただけに過ぎないのだろうと言われてしまえば、それまでなのだが。
けれど、例えそれが実際に投下されたとしても。

―――その瞬間も共に居られるのなら。
間違っても、どちらか片方が残されるのでなければ。

それでも構わない、とらしくもない事を感じている自分自身に気付いて苦笑したのは、何時の事だったか。

自分の肩に乗せていた頭を軽く持ち上げた悟空に気付いた三蔵が、緩慢な動作で下を向けば。
紫暗をまっすぐに据えて来る金晴眼が視界に入った。
途端に交わる紫と金色の瞳。

その紫暗と視線を交錯させながらも、後どのくらいの時間こうして共に居る事が出来るのか、と。
悲観的な考えに辿り着いてしまった自分の弱い心を振り切るように、自ら唇を重ねて来たのは悟空側だった。

悟空から仕掛けた最初の口付けは、啄ばむような軽い口付け。
けれど角度を変えて三蔵側から与えられたそれは、容赦がない。
完全に息の上がってしまった悟空を、それでも解放しようとはしない。
三蔵の腕を服の上から掴んでいた悟空の手が、あまりの息苦しさにぎゅっと強く握られた。
そんな悟空の仕草に余計に煽られた三蔵が口付けを更に深いものへと変えていくのだから、悟空としてはなすすべもなくそれを受け入れるしかなかった。

・・・愛している、などと。

歯の浮くような台詞は一切口にしない三蔵の、それでも今の悟空への想いのすべてを注ぎ込んでくれているような、激しいけれど同時に優しくもある―――そんな不思議な口付けだった。
こんな口付けを受けてしまった悟空は、返って切ない想いに駆られてしまうから・・・・何だか居たたまれない。

「・・・ダメだよ、三蔵」

悟空自らが唇を離して、両手で広い胸を押し返して呟いた。
それに対して返された三蔵の台詞の声音は、口付けを中断された事もあり明らかに不服そうだ。

「―――仕掛けて来たのはお前だろうが」
「でも・・・、ダメだよ。こんなキス」
「良くなかったか?」
「そうじゃなくて」

良くなかったか、などと尋ねられてしまって、間髪入れずにそうじゃない、と正直に答えてしまった悟空の顔が瞬時に紅潮した。
その熱が治まるのを待ってから俯き加減で呟いた悟空の声は、僅かに掠れている。

「・・・そうじゃないんだ・・・でも」

そこまで告げた悟空は、俯き加減だった顔をゆっくりと上向かせた。
三蔵の瞳に自分が映り込んでいるのを確認しそれに満足感を覚えながら、続けざまにこう囁いた。

「―――こんな悲しいキスは・・・ダメなんだ」

言いながら、つい先程まで三蔵の腕を掴んでいた右手を離して。
そしてすっと上げられた悟空の人差し指。
それが、器用に三蔵の輪郭をなぞっていく。
それはまるで。
万が一の事があったとしても決して忘れる事のないようにと、その指に記憶させるかのような緩やかな動きだった。

―――最初は、頬を滑り落ちて。
次は、顎を掠めて。
最後に悟空の指先が辿り着いたそれは、唇だった。

その指の動きから悟空の心中を察した三蔵の瞳が、僅かに細められる。
黄金色の瞳を覗き込んで来る細められたままの紫暗を見詰め返せば、自分の心の揺れを機敏に感じ取ってくれているのが分かるから。
そんな愛しい人の首に、感謝の思いを込めながら悟空はそっと両手を回した。

「俺達は意地でも生き残って、もっと沢山キスしようよ。・・・ね?三蔵」

これから先もふたりに未来はあるのだと信じて疑ってなどいないから、だからこんな悲観的なキスはしてくれるな、と。
そう言いたげに小さく微笑んで見せた悟空の表情が、何だか酷く儚い。
そんな滅多に見られない悟空の表情を目の当たりにしてしまっては、流石の三蔵ですら茶化す気にはなれなかったようだ。だから。

「・・・・そうだな」

と彼らしい短い言葉で返してやれば今度は快心の笑みを見せる悟空に、少なからず安堵する。
すっかり短くなってしまった煙草の先端を灰皿に押し当てた後で、三蔵はその細い腰に回した腕の力を強めて自分の側へと引き寄せた。



























人類の未来がどちらに転ぶのか。
それは、まだ、誰にも分からない。
―――どちらにせよ。
ふたりで共に迎える結末ならば、覚悟して受け入れよう。



























―――審判が下る日まで。























後、2日。







































最後に彼らがどんな結末を迎えたのかは。
皆さんのご想像にお任せしたいと思います。

「核投下、無事に阻止される」の結末に管理人一票。