吐き出された自分の息はあくまでも白く、空中に漂う空気は凛として冷えていた。
今年第一級の寒波が列島の上空に居座り、ここしばらくはこの寒さが続くらしいと。
量販電器店のショーウィンドウの中に所狭しと並べられたテレビの中の女性アナウンサーが告げて来る。

そんな事は態々教えてくれなくとも冬なんだから寒いのは当たり前だと。
毒づいてみたくなりながら、口寂しさを覚えてふとその場に足を止めた。
身に纏った黒のロングコートのポケットから取り出したモノは、吸い慣れた愛用の煙草の箱とライター。
口に咥えた煙草の先端を片手で覆い隠すようにし風をよけて火を点した瞬間に。
隣を擦れ違った栗色の髪につい反応して振り返る。





―――ここにあいつが居る筈もない。





頭では理解しているつもりでも。

小柄な背丈。
栗色の髪。

似たような光景を視界に入れる度にこの反応だ。

―――余程。
自分は飢えているらしい。

あの屈託のない笑顔と。
真っ直ぐにこちらを見据えてくる何の曇りもない瞳と。
温かくて心地の良い。
―――懐かしい温もりに。





























『Necessary』
      〜sanzo side〜

































もうすでに自分の事など忘れ新しい恋人が居て、一緒に暮らしている可能性だってあると。
それならそれでもいいと、割り切っていたつもりだった。

―――本心を言えば。
これっぽっちも割り切ってなど、居なかったのだが。

あの家に足を踏み入れたところで、もうすでに自分の居場所はないのだと。
それを突き付けられる事を恐れて、あの家に戻る事が出来ずに居た。
悟空が他人とともに居る姿を目にする事を恐れているのか。
それとも自分から悟空の元へと戻ったものの受け入れられなかった時に己の自尊心が傷付く事を恐れているのか。
それさえも、よくは分からなかったが。

一体何時から、こんなに臆病者になったのか。
心中自分を嘲笑いながら、煙草の煙を吐き出した。

賑やか過ぎるクリスマスソングを嫌い商店街を抜け、裏道に足を踏み入れれば。
かなりの古さを感じさせるけれど落ち着いた佇まいの喫茶店がそこにある。
この店自体のこの雰囲気も好きだったが、何よりも此処には。





―――悟空との思い出が溢れ返っている。





他愛ない会話。
自分が無口な所為で、それが果たして会話と呼べるものなのかどうかは分からない。
それでも確かに感じていた、穏やかな空気。
楽しそうに日常の出来事を話す悟空を視界に入れつつ湧き上がって来る愛しさは、嘘偽りのないものだった。

だったら、何故。
もっと大切にしてやらなかったのか。
失って、こんなに後悔するくらいなら。
何故あの時、彼女を突き放せなかったのか。

中途半端な、態度。
それが彼女だけではなく、悟空さえも傷付ける事になる事くらい。
予想出来ただろうに。





































『貴方が、好きです。付き合ってください』

むせ返るような暑さの中で辟易としていた、半年程前。
何の前触れもない突然の告白を受け、驚かされた。
ただ、同じ部署に配属されてともに仕事をこなして来ただけの相手だ。
ほどんど人の行き来のない、資料の積み込まれた書庫のような一室に呼び出されての告白だったから、まさか誰かに聞かれているとは思わなかった。
しかし気が付けば、社内はこの告白の噂で持ちきりだった。

『あの子は思い込みの激しい子だから、その気がないならはっきり言ってやらないと偉い目に会うぞ』

そう同僚に忠告を受けた時も、さして気に留める事もなかった。
無視し続けていれば、そのうち諦めてくれるだろうと鷹を括っていた。







―――しかし、その考えは非常に甘かったのだと。







気付いた時にはすでに手遅れだった。







彼女の社内での態度が、少しずつ可笑しくなって来たのである。
その態度は、すっかり恋人のそれだった。





仕事仲間以外の特別な感情は持ち合わせていない、とそう彼女に告げたところで。
これから好きになってくれればいい、と彼女は言い切り引こうとはしなかった。

一緒に暮らしている奴が居る、と告白したところで。
そんなのは嘘だ、と少しも本気にしようとしない。

どうしたものかと頭を抱えれば。
だから言っただうが、と同僚にちらりと視線を送られた。



しかし。
突然自宅に掛かって来た彼女からの電話に悟空が出た事で。
やっと彼女も理解したようだった。
いくら想ったところで、この恋は成就しないのだという事に。

これで彼女も諦めが付くだろう、と。
そう考えた自分は、やはりどこまでも甘かったのだ。











自宅に何度となく掛かって来る、無言の悪戯電話。
何時までも続く、白紙のファックス用紙。
夜中でもお構いなしに頻繁に来るそんな嫌がらせに、自分は元より悟空自身、相当に頭を悩ませていたようだった。




―――そんな嫌がらせが一ヶ月程続き。
そして、ダメ押しとばかりに掛かって来たモノは。







・・・・あの自殺予告電話だ。






普段の自分なら、そんな電話など相手にせず無視した筈だ。
しかし。
・・・・今回は分が悪過ぎた。
確かに彼女は思い込みの激しい性格ではあったのかも知れない。
だがここまで彼女を追い込ませてしまったのは、自分の曖昧な態度が少なからず影響しているのは事実だ。



『好きな奴が居る』



告白された時に、うやむやになどせず、そうはっきりと告げていれば。
こんな事にはならなかったかも知れないと。

―――今頃になって後悔している自分に失笑が漏れた。











彼女の居場所へと向かう為に家を出るその瞬間。
無意識に、自分は悟空へと視線を向けていた。
あの時、もし悟空の手が自分の腕を離そうとしなかったら。
・・・・もし悟空に泣かれていたら。
それでも悟空を振り切って彼女の元へ走れたのか、と聞かれたら。






―――正直、自信はない。






しかし、悟空の手は自分の腕を解放した。
これはやはり、必ず戻って来ると告げた自分の台詞を信じての行動だったのだろうと思う。












彼女の精神が安定するまではと、それからしばらくの間彼女の側に居たのには、訳がある。



とりあえず自殺を食い止めたからと、すぐに悟空の元に戻るのは危険極まりないような気がしたからだ。
それにより逆上した彼女が悟空を傷付ける事を一番に危惧していた。
女は自分を見失うと、男ではなくその相手に憎しみを抱くようになり、手を掛ける。









それだけは、どうしても避けたかった。

















確かに、常に身体は彼女の側にあった。
けれど、心は。
彼女の側にはなかったらしい。










「煙草取ってくれ、悟空」

「悟空、コーヒーが切れた」












気が付けば、そんな台詞を平気で吐いている自分が居る。














どうやら。

もう、どうにもならないところまで来ているのは彼女ではなく。









―――自分だったらしい。




















やはり、まだ。












愛しているのだ、と。














そう自覚した、瞬間だった。

































この店に通い始めたのは、何時の事だったか。
仕事帰りに立ち寄る事もあれば、外回りの途中で軽い食事を兼ねて立ち寄る事もあった。
店の中にその姿が見受けられない事に、意気消沈したような安堵したような複雑な思いを抱えつつ、定位置であるテーブルに迷わず進む。
そして椅子に腰掛けた後で窓の外に視線を送っては、探し物が見つかりはしないかと目を凝らす。




―――居る筈はない、とそう思いながら。




数十分。
時には数時間。
この店が、繁盛しているとはお世辞にもいえず常に空いているのをいい事に、コーヒー一杯で相当な長居をした日もある。
それでもマスターは嫌な顔ひとつしなかった。
ドアのカウベルが鳴る度に振り向く姿を毎日のように見ていれば、嫌でも気付くのだろう。


この客はどうも誰かを待っているらしい、と。
そして、それが誰なのか。
それすらも、多分にマスターには、気付かれている。


外のクリスマス一色の景色に嫌気が差して、ゆっくりと視線をカウンターに移した。
何時もと同じ銘柄のコーヒーを注文した後で。
新しい煙草に火を点ければ、珍しくマスターに声を掛けられた。







「・・・・おや。珍しいお客さんがお見えですよ?」








言われてまだ開いていない入り口のドアに視線を送れば。
ドアの硝子の向こう側に、見えたモノ。










栗色の髪。
伏し目がちな、黄金色の瞳。
見慣れた、黒のダッフルコート。











―――やっと、来たか。











そう、心の中で呟いた。



何度ここに来るのを止めようと思ったかしれやしない。
来るか来ないか分からないものを待ち続けるのがこんなに辛い事だとは思わずに居た。
多分。
あいつもそうだった筈だ。
「必ず戻る」とそう言ったのに。
戻ってやれなかった。

くだらないプライドが邪魔してた。

しかし。
あいつは此処に来た。
自分との思い出が詰まった此処に悟空は来たのだ。

これは悟空も自分を忘れずに居たのだと。

自惚れるのは早計だろうか。























今夜のクリスマスを二人で過ごす事が出来るのか、否か。












それはこれからの二人の駆け引きに掛かっているのだろう。



















カラン、と小気味良くカウベルが鳴る。















さぁ。






何と言って声を掛けてやろうか。