都心に位置するインターチェンジから高速に乗り約一時間程で到着するK市。
所謂郊外と呼ばれる其処は都心よりも相当に緑が多く自然に溢れ、市の中枢を緩やかに流れる河の水は都心のそれと比べるまでもなく透明度が高かった。
これだけ都会から離れているのにも関わらず、K市で行われる夏祭りは盛大であり人気も高い。
この夏祭りの人気が毎年高まるその理由、それはメインである祭りの最中に開かれる花火コンクールにあるのだ。
関東一円の花火師達がこの日の為に精魂込めて打ち上げ花火を作り上げる。その花火の美しさを一目見ようと、この市内だけではなく遠方からも観客が大勢集まって来るのが常だった。
『仕事が早く終わったら、一緒に花火見に行かない?たまには遠出してみたいしさ』
自他ともに祭り好きだと認める悟空に、そう強請られた記憶が三蔵の頭の片隅にあった。
しかし彼のスケジュールに、花火観覧が今夜の予定として加えられる事は終ぞなかった。
元々人込みは嫌いだったし、何より仕事に追い立てられて時間が取れなかったのが最大の理由。
そして三蔵は今夜も銃取締法違反者を追って後輩の捜査員が運転する車の助手席に乗りむのだ。
それは通常となんら変わりのない彼の行動だったけれど、ただひとつだけ普段と違っていたのはその格好だ。
至ってシンプルな無地の紺の布で作られた、ソレ。
帯は深いこがね色。
三蔵の隣でハンドルを握っていた後輩の捜査員ですら一瞬我が目を疑い2、3度瞬きを繰り返した程の、艶姿と言っても過言ではないようなその様相。
―――仕事中だと言うのにも関わらず。
三蔵は浴衣姿だったのである。
Tragedy番外編
〜蛍火・前編〜
―――何故勤務中である筈の三蔵がその身に浴衣を纏っているのか。
浴衣などという己の動きを拘束しがちなモノを彼が好んで着用する筈もなく、やはりソレには歴然とした理由があった。
今夜開催されるK市での祭り会場に出店する予定の露天商の中に、暴力団と通じ若者に小型の銃を売りさばいている人物が居るとの通報が保安一課に寄せられた。
通報者自身がその人物から実際に現物を見せられ、購入を勧められたと言う。
調査を開始したところその人物―――保安一課で言うところの被疑者には、銃の不法所持の前科がある事が判明した。
そして小銃を売り捌く為に被疑者が主だって活動している拠点は、新宿界隈であった。
これは新宿を統括する警視庁保安一課の出番だろうと。
速やかに被疑者を探し出し任意同行を求めるように、と。
上層部はそう簡単に言ってのけるのだ。
まさか悟空に行きたいと懇願された祭り会場に仕事が絡んでいるとはいえ己が赴く事になろうとは想像もしなかった。だから意識せずとも三蔵の口から漏れたのは小さな溜息だ。
―――それに。
速やかに任意同行を求めろと言われたところで、被疑者から相当な抵抗にあうのは必須と思われる。多分に一筋縄ではいかないだろう。
普段の格好であるならばなんら問題はないのだが、非常に動きにくいこんなモノを着せられた状態でどうやって被疑者に立ち向かえと言うのか。
―――ったく、上層部の奴らも無茶言いやがる。
珍しく、三蔵がひとり静かに愚痴を零した。
『被疑者には前科がある。下手すりゃ玄奘、おまえの顔もわれてるかも知れん』
被疑者の活動拠点は新宿界隈である事。
そして、被疑者の前回の逮捕容疑は銃の不法所持であった事。
この2点を踏まえれば前回の事情聴取は警視庁の保安一課で行われた可能性が極めて高い。それは態々過去の記録を確認せずとも明らかだった。
とすれば、被疑者が三蔵の顔容姿を記憶ししていない筈はないだろうと、上司は言うのだ。
―――一度見たらそうそう簡単に忘れられない、眩い程の金糸の髪。そして紫暗の瞳。
とにかく目立つ男だったから。この玄奘三蔵という男は。
いい意味でも、悪い意味でも。
祭りの会場で三蔵をひとたび視界に入れでもしたら、多分に被疑者はその場から瞬時に逃げ出す事は容易に想像が付いた。被疑者を取り逃がすような事にでもなれば、それは警視庁保安一課の沽券に関わる事となる。そんな事態に陥ってしまう事はなんとしても避けたかったのだ、上層部としては。
だから必ず浴衣を着て、尚且つ男一人で祭りに来ているというのはどうにも不自然過ぎて返って目立つから婦人警官をお共に連れて行きカップルを装い会場へ潜り込めと、そう上層部から指令を受けた時は三蔵自身思い切り頭を抱え込みたくなったものだった。
・・・・第一浴衣なんざ持ってねぇよ。
即答でハゲ頭の幹部に切り替えしてやったけれど、それに対してはこう切り替えされた。
『ンなもの、衣裳部屋に行けば幾らでもあるだろうが。其処から借りて来い』
警視庁捜査課のフロアの奥にひっそりと存在する、広さ八畳程の小部屋。
其処こそが捜査員が呼ぶところの、『衣裳部屋』。
その部屋を差して上層部は簡単にそう言ってのけるのである。
例えば誘拐事件が起きて人質とともに犯人が建物に立て篭もった場合。
人質の解放が極端に遅れた時の強行突破に備え、建物の中やその周囲の様子を捜査員が調査する場合がある。どのあたりに犯人は人質とともに身を潜めているのか。何処から強行突破するのが最良の方法か。それを確認する為だ。
しかしその際に犯人に警察官が周囲を取り囲んでいると察知されてしまうのは非常にまずい。
何時どんな時でも優先されるべきは人質の命であるから、犯人を煽らせるような行為に出るわけにはいかないのだ。
―――よって宅配便の配達員の制服やら郵便局の職員の制服やら水道局の検針員の制服やら。
捜査員達は日常的に町の中で良く見掛け不自然さの感じられない職業の人間の制服を身に纏う必要があった。
そんな理由からその部屋には数限りない多種多様な職種の衣裳が存在しているわけで。
その衣裳部屋の中に、何故か浴衣も用意されているらしい。
どれでも好きなのを選んで着ていいぞ?とそれは嬉しそうに言うのだ、上司が。
―――そして。
『どうせカップルを演じるなら相手は美人の方がいいだろう、君も』
そんな台詞を口にしつつポンと三蔵の肩を叩き、尚且ついらぬ一言を付け加えて通り過ぎていく。
『男性捜査員憧れの的らしいぞ。・・・どうだ、君もここらで身を固めたら』
ぬけぬけと悪びれもなくそれだけ告げ、恰幅のいい身体を揺らしながら前方を行く幹部の姿を見送りつつ三蔵は―――すぐさま小銃を取り出してその頭を2、3発打ち抜いてやろうかと、かなり本気で物騒な事を考えていたらしい。
肩まで掛かる黒髪を揺らしつつ今三蔵の隣に付いている女性こそが、上層部の言うところの男性捜査員憧れの的の美人婦人警官だ。
決して派手なタイプではなく純和風的な楚々とした雰囲気を持つ、想像していたよりも相当に大人しい女性だった。
こちらも決して雄弁な方じゃないから、二人で歩いていても特に会話を交わすわけでもなく。
当然二人の間に漂う空気は周囲の祭りの賑やかさとは相反して、至って静かだった。
こんな沈黙は三蔵自身決して嫌いではなかったが、今隣に居る相手は今夜初めて顔を合わせた婦人警官だ。何やら居心地の悪い気まずさを微塵も感じないと言えば嘘になる。
これが悟空相手なら、多少の沈黙など何ら気に掛かる相手ではないのだが。
―――しかし、どうでもいいが。
「・・・・歩き辛くてしょうがねぇ」
己が身に纏っている浴衣に視線を移し軽く溜息を付きつつ三蔵が小さく漏らした一言に、隣の存在は声を立てずに小さく笑う。そして彼女の落ち着きのある女性らしい優しい声を、三蔵は初めて耳にする事になる。
「歩き辛いから着替えるなんて言わないで下さいね。とても良く似合ってるのに勿体無いですから」
突然彼女から掛けられた声に多少なりとも驚いたのか、僅かに表情を変えたその後はすぐに落ち着きを取り戻して袂から煙草を取り出しそれを口に挟み込む。そんな三蔵の横顔を婦人警官がちらりと覗き込んで来るのだ。
そしてその婦人警官は視線が交わった瞬間を逃さずににこりと愛らしい笑顔を見せてこう尋ねて来た。
「この祭りの会場の近くに、河原があるの、知ってます?」
悪びれたところの全くない、彼女の素直な性格をそのまま表しているような声音だった。
性格こそこちらの女性は物静かなタイプだったから正反対と言えない事もないのだが、くったくのない笑顔などは悟空のそれとたぶって見えない事もない。
今頃一人自宅で祭り会場に思いを馳せているだろう存在を脳裏に思い浮かべた後で、彼女から視線を逸らし三蔵は小さな声で一言だけ返事を返すのだ。
「・・・・・いいや」
あまりに予想通りの短過ぎる返答に、彼女の口元に再び笑みが乗る。そしてその笑みを崩さぬままで囁かれた。
「それは残念。そこ、沢山居るんですよ―――蛍」
蛍の乱舞がとてつもなく幻想的で美しいのだと、彼女は言う。
今は蛍の恋の季節だから普段より輝きも増していて、とりわけ綺麗で感動的だと。
蛍同士が、自らが発光する光により恋の会話を楽しんでいるとそう言うのだ。
成虫となってからの生存期間は、たった2週間。
その2週間の間に、彼らは恋をし会話を楽しむ。
「・・・・今度、一緒に見に行きませんか?」
己の耳元に彼女の遠慮がちな誘いの言葉が届いたから、三蔵としては少々面食らう。
多分に大人しいと思われる彼女の、それは今までの人生の中で最大限の勇気を振り絞って出た誘い文句ではないだろうか。
―――見れば、微かに肩が震えてはいなかったか。
彼女の顔をちらりと三蔵の紫暗が盗み見てみれば、やはりその表情は幾分が強張っているように見受けられた。やはり彼女なりに相当な決意を内に秘めながら先刻の誘いの言葉を口にしたのだろうとその表情から窺い知る事が出来た。
ゆっくりと彼女から視線を外した三蔵は緩慢な動作で袂からライターを取り出した。そして片手で風を遮るようにして口元に咥えていたいまだ火の付いていない煙草に静かに火を点すのだ。
その瞬間に煙草の先端に宛がわれたのは、常日頃から愛用しているイニシャル入りの純銀製のライターだった。
「今回のこの仕事は見合いも兼ねてるのか」
一度煙を吐き出した後で、三蔵が不機嫌さも露わに数歩先へ行く彼女の背中にそう尋ねてみれば、
「・・・いいえ」
婦人警官はこちらを振り返り、三蔵の手の中に収まっている見慣れたライターに視線を移した後ですぐさま返事を返して来た。
誘いを掛けたところで色良い返事はきっと貰えないだろうと、彼女自身とうに気付いていたのだ。保安一課のフロアにひょっこりと顔を出すあの愛らしい少年。今三蔵の手の中に大切そうに握られているライターの送り主であるその少年こそが、彼にとっては何にも代え難い大切な存在であるとい事実は、少年を見詰める紫暗の瞳の中に僅かに浮かぶ優しさがすべてを物語っていたから。
それでもやはりない勇気を振り絞って彼女は三蔵に誘いを掛けてみたのだ。
それには、理由があった。
―――秋が来たら。
彼女は配置転換で保安一課から外されてしまう。
そればかりか警視庁勤務ですらなくなってしまい、地方の警察署勤務へと異動させられてしまうのだ。
だから先日上司から、
『玄奘捜査員とカップルを装って祭り会場へ赴いて欲しい』
そう指示された時には。
これが最初で、最後のチャンスだ。
そう、思った。
その姿を、見る事が出来なくなってしまう前に。
―――夏が、終わってしまう前に。
己の想いを、どうしても伝えたかった。
結局、この想いが成就する事はなかったけれど。
こうして話せただけで、もう。
十分だと、彼女は思う。
「この仕事が終わったら・・・・、蛍、見に行ってみて下さいね」
蛍と一緒に、恋の会話を楽しんで下さい―――貴方の一番、大切な人と。
彼女はそう言ったっきり沈黙してしまうのだ。
その夜、彼女の女性らしい優しい声音を三蔵が耳にする事は二度となかったと言う。
夏なのに切ない〜。
どうしても切な路線に傾く七海のSS。
祭り会場のK市にはモデルがありますよ。うちの近所です。
次回は悟空出て来ます、今回は39らしくなくてすみません。
そしてまた無駄に長くなってしまいました。
後編へと続きます。