美容師の手元にあるハサミが一定のリズムを持って動く度に、大地色の長い髪がぱさりと音を立てて床に落ちていった。
情け容赦なく切り落とされていく髪を鏡越しに見届けた後でちらりと床に視線を向ければ、そこに落ちた髪の量はやはり生半可な量ではなかった。こうしてあらためて切り落とされた髪を目の当たりにしては、長い月日を掛け苦労してここまでの長さにしたんだったな、という実感がにわかに湧いて来る。
髪を切る事に対しては何の迷いもなかった筈の悟空がほんの僅か顔を顰めた。
―――ちょっともったいなかったかな・・・・。
大地色の髪のさらさらとした感触を味わいつつも遠慮なくソレを切り落としていた美容師も、悟空の今の後悔の滲み出た表情を鏡の中にに見届けて流石にその手を止めた。
何時もの悟空らしい爽やかな笑顔を乗せたまま、「こんにちは」と入店して来る仕草も何時もと全く変わりはなかった。だから店員の方も何時もと同じ様に「今日はどのくらいカットする?」と笑顔とともに尋ねてみた。そしてその質問に対する答えも通常となんら変わりがなく、「何時も通りでいいよ」と返って来ると予想していたから店員もそのつもりで悟空の返事を待っていた。
悟空のいつも通りというのは長さは変えたくないから揃える程度に切ってくれと、そういう事だった。悟空がこの店の常連となってから約3年近くが経過するが、それが覆された事は今までに一度たりとしてとしてない。
けれど何の躊躇いもなく瞬時に返された言葉は。
店員の目を瞬時に丸くさせる程、それは意外なものだった。
『ばさっと思い切りやっちゃってよ。・・・男の子みたいにしたいんだ』
〜Image〜
すでに悟空が鏡の前に座ってからかなりの時間が経過しているのにも関わらず、本当に短くしてしまっていいのかと執拗に美容師が念を押して来る。
それもその筈である。悟空がこの長く艶のある美しい髪をどんなに大切にしていたか美容師は知っていたから。
以前、髪を切りながらの他愛のない会話の中で、美容師の、
『君の髪は本当に綺麗だよね。随分長いけど、小さい時から伸ばしてるの?』
という質問に対して、悟空はこう返して来た。
『ここまで長くするまでに色々あったんだよ。実はね・・・・』
と、悟空が始めた話は。
髪の毛の話に留まらず、彼女の生い立ちにまで発展していくのである。
以下が、その時の悟空の話を要約したものだ。
3人姉妹の末っ子として生まれたばかりに、悟空の母親は自分が女の子らしく育つ事を嫌った。
男の子が欲しかったから3人目を産んだのだと公言して憚らない人だったから、悟空はそれこそ赤ん坊の頃から男の子として育てられていたらしい。
乳幼児の頃から着せられた服といえば青か水色の服ばかりだったし。
アルバムの中に写る幼児期の自分の髪型は思い切り男の子のそれだったし。
幼稚園時代は制服であったがスカートとズボンが両方支給されていた為当然履かせられる服はズボンだけだった。
髪型だって何時までたってもショートカットで可愛いリボンなんて絶対に付けて貰えない。
小学生になれば二人の姉はバレエだピアノだと女の子らしい習い事をさせていたというのに、悟空が毎日のように通わされた場所といえば柔道やら剣道やらを教えている道場だ。
とにかく母親は悟空を徹底して男の子として扱っていったのである。
悟空も元々が男勝りな性格であったから特にそれをなんら不快に思う事もなく、そんな母親の行動に対して反抗する態度は一切見せずに大人しく言いなりになっていたようである。剣道や柔道などの格闘技系も、悟空自身決して嫌いではなかった。いや、むしろバレエやピアノを習わされた方が、彼女の場合は反抗的な態度に出た可能性もあったかも知れない。
それほどまでに彼女は外見だけではなく内面的にもボーイッシュな女の子であったようだ。
しかし。
母親に対するそんな素直な態度も中学生まで。
さすがに思春期を迎えると事情が違ってくる。
その年にまで成長すると多少は自我も芽生えて来るし色気付いても来るのが常だ。性格は無理でもせめて見た目ぐらいは女の子らしくしてみたいという願望が悟空に生まれて来た。
母親は当然猛反対したが悟空は言う事を聞かなかった。柔道も剣道も続けるし他の事は我が侭を言わないからこの髪だけは伸ばさせてくれ、そう母に懇願した。
―――母はそんな悟空にとうとう折れた。
伸ばしてみればこの髪はなかなかに美しい。
さらさらと風に乗ってなびくその様子に心惹かれる男性も多いようで、髪を伸ばす前は早々声など掛けられる事もなかったのに、外を歩いていて知らない男性から声を掛けられたりする事が増えて来た。
当然、クラスの男子生徒の熱い視線も以前よりかなり浴びていると思われる。
しかしあくまでも本人には自分がそこそこにもてている、という自覚はまるでない。
悟空にしてみればそんな視線はどうでもいい事のようで、とにかく自分が女の子であるという事実をこの長い髪によって周囲に認められた事、その事ががとてつもなく嬉しかったようだ。
そんないきさつを知っているだけに、美容師が再度確認を取る為に、少々腰を屈めて鏡の中に映る悟空に視線を合わせ尋ねて来る。
「・・・・やっぱり止める?今ならまだ間に合うけど」
間に合うけどと言われてももう3分の1程度は切り進んでいる。こんな状態ではもう元に戻す事は当然不可能だったし、もう此処まで来たら元来男っぽい性格の悟空が引き返す事はまずない。気持ちいい程の潔い態度で悟空は美容師に告げて来た。
「構わないからどんどんやっちゃってよ」
あくまでもきっぱりとそう言い切る悟空にそこまで決心が固いならとようやく手にしたハサミを動かし始めながら、美容師がちらりと鏡の中の悟空を覗き込んで遠慮がちに聞いて来た。
「あのさ、一つ聞いてもいいかな?」
「・・・・?何?」
小首を傾げて聞き返しつつ鏡の中に写る背後の美容師の顔を視界に入れてみる。
彼の表情は、意外にも真摯だった。
「髪切る理由。もしかして失恋でもした?だったら俺、立候補するよ?」
その言葉に悟空は思わず吹き出した。
失恋以前の問題だ。悟空は高校生となった今現在まで、憧れた人が居たくらいで恋愛の経験など皆無に等しい。
鏡の中に映る怪訝な表情の美容師を他所に高らかに笑い声を上げた後。
悟空は軽く首を横に振って質問に答え始めた。
「違うよ。失恋は相手が居なきゃ出来ないでしょ?俺そんな相手居ないもん。それに今時失恋した程度で髪切る女の子なんていないんじゃないの?」
「そうでもないって。意外に結構居るんだよ」
「へぇ。そうなの?」
「失恋じゃないなら何で切っちゃうの。可愛いのにもったいない」
商売上のお世辞であったとしても今の最後の一文は悟空にしてみれば相当に嬉しいものだったらしい。頬を僅かに紅く染めつつはにかんだような愛らしい笑顔が一瞬浮かんだ。どんなに性格がさばさばとしていて如何にも男の子っぽくてもやはり悟空も間違いなく女の子なのだ。
しばらく考える素振りを見せてから鏡の中の自分を真正面から見据えてゆっくりとした口調で悟空は告げて来た。
「・・・・そうだな、自分の決意がこれだけ固いんだっていう、周囲に対する意思表示・・・・そんなとこかな」
悟空の言葉の真意が計れずに美容師が背後で首を傾げたのを鏡の中で見届けて、悟空が思わず微笑んだその表情はやはり女性らしく愛らしいものだった。
サイト縮小運営記念(笑)。
久しぶりに表39ノベルUPです。
三蔵はどーしたー!
熱烈な三蔵ファンからそんなお怒りの声が
聞えて来そうな内容ですわ。
次回、登場しますから!
お待ち下さいね〜。
懐妊同様女の子悟空です。
苦手な方はごめんなさい。