単身の客がぽつりぽつと席に着き、芳しい薫りを堪能しつつコーヒーを味わっている。
微かに耳に届くBGM以外に聞こえて来るものは、カップをソーサーに置く際に響くカシャンという小さな陶器の音のみで。
そんな静寂の中、気持ちを口にするのが不得手な男の言葉をこれ以上待つのは無意味かと先に沈黙を破ったのは、悟空だった。

















『Necessary』





















「―――彼女は・・・・元気?」

一番聞きたくない事を聞いてしまうあたりは、やはり自分もこの突然の出会いに対処しきれずに困惑していたのだと思う。
何を口にしていいのか分からなくてそれでも長い沈黙を嫌って出た言葉がこれだった。

紫煙が、ゆらゆらと上へ上へと立ち昇る。
それが空中を漂い音もなく消えていく様を悟空はただ見つめていた。
―――無口で不器用な相手の出方を待ちながら。

「多分・・・・、元気なんじゃねぇか」

背中越しに伝わって来る懐かしくて溜まらないその低い声音に、自然と目頭が熱くなった。
背中合わせなら見られる事はないからと溢れそうになった涙を片手で拭ぐう。
彼女とは長い間音信普通である―――そう言いたげな今の返事に納得出来ずに尋ねた声は掠れていた。

「多分って・・・・・何でそんな言い方・・・・」
「あいつとは会ってない。―――別れたからな」

コーヒーを口にしようとして、カップを持った悟空の手が一瞬止まった。








・・・・別れたから。
だから自分に会いに来たと言うのか。
あまりにも調子が良すぎやしないか。

戻って来る、と告げた貴方を、その言葉だけを信じ毎日を過ごして来たこの半年間を。
諦めにも似た思いを抱えながらもそれでも待ち続けてしまったこの半年間を。
―――どうしてくれると言うのか。

「何で・・・・別れたの?」

低く、囁くように告げてみる。
・・・・許すつもりなど、毛頭ない。
それでも、このまま何も聞かずに席を立つのはどうにも悔しかったし、何より別れた理由ぐらいは聞いておきたい。
そう思ったから。

「名前を呼んだんだよ」
「―――え?」
「無意識に、おまえの名前を呼んだんだ」

一度や二度ではなかったと言う。
意識を新聞に集中させながら、コーヒーを催促した時も。
煙草が切れたのに気付かされて、買い置きした新しい箱を出すよう指示した時も。
気が付けばあまりにも自然にその名を呼んでいた。

そんな事を告げたくらいで、許されると思っているのかだろうか。
俺はそんなに単純じゃない、そう悟空は思う。
この罪は、そんなに軽いものではない筈だ。
―――それなのに嬉しさが込み上げて来るあたり、やはり自分は単純なのかもと。
そんな事を考えた。

















再度、二人の間を沈黙が訪れる。
どちらともなく、相手の出方を伺って、牽制しあっているようで。
それはまるで、甘い駆け引きのようでもあり。








何を言葉にしたらいいのかと、思いを巡らせる悟空の脳裏にふと沸き起こった、疑問。
この店に自分が訪れたのは、実に半年振り。
以前、ここには二人で頻繁に訪れていたから思い出の多過ぎるこの場所には訪れるどころか、この店の前を通り過ぎる事さえ故意に避けていた。
そんな思い出に囚われてばかりいる自分にいい加減嫌気が差して。
そんな自分を、振り切りたくて。
意を決してこのドアを開けたのが、つい先刻。

たまたま今日、三蔵がこの店に―――しかもこの席に居るというのは、あまりにも出来過ぎなのではないだろうか。
もしかしたら、これは偶然ではなく・・・・。







「毎日―――この店に来てた・・・・?」







後ろを振り返り様悟空が呟いた言葉には、何の反応を示さずこちらを振り返ろうともしない。
落ち着き払ったように煙草の煙を吐き出した直後、とんと一度灰皿に灰を落としただけで。

そんな男の仕草を見届けた後。
ふと、カウンターの中に居たマスターと視線がぶつかって悟空が軽く首を傾けたその瞬間、今の悟空の問い掛けにまるで背後の男の代わりに答えるようにマスターがにこやかに軽く頷いたのを、悟空は見逃したりなどしなかった。













―――待っていたのか。
自分を。
何時来るのか、宛もないのに。
もう二度と、来ないかも知れないのに。
毎日のように、ここへ足を運んで。
毎日のように、この席に腰掛けて。
窓の外に紫暗を留めて、自分の姿を求め探す事も・・・・あったのだろうか。














「・・・・・ずるい・・・・・」

そんな事実を知らされたら。
許すしか、ないじゃないか。

煙草を灰皿で揉み消して語られた口調はやはり物静かで、そして愛しさを募らせるのに十分で。
悟空の心の中にそれは静かに、染み渡ってくる。

「ここしかねぇだろうが。―――おまえの、行き付けの店」

―――一年や、二年ではなかった。
その長い付き合いの間に三蔵だけには、自分の全てを、包み隠さず見せて来た。
だからこの男は、自分の事なら知らない事などない。

勿論それは、自分だけではない。
三蔵の全てを、自分も知っているつもりだ。
彼女と別れた直後に、自分の待つ家に平然とした顔で舞い戻れるような性格ではないのだ、この人は。

ここに来れば、何時か自分に会えるかも知れないという期待と同時に、あの家以外で二人の思い出に浸れる場所はここしかなかったから。
幾度となく二人で向き合って座り他愛もない会話を交わしたこの場所で、自分を思い出し感傷に浸る事もあったのではないだろうか。







離れていても、思いは同じだったと。

俺は貴方を思い。
貴方は俺を思ってくれていたと。

―――そう、信じたい。















背後の男の次の台詞がどうしても聞きたくて、待ち焦がれて。
それでもこの沈黙は悪くないと嫌う事なく、じっと身じろぎ一つせずに悟空は待っていて。

ケースから新しい煙草をすっと取り出しそれを口に咥えて、BGMだけが遠慮がちに流れる店の中を、カチッというライターの着火音だけを響渡らせて。
深くそれを吸い込んで―――ゆっくりと煙を吐き出した後で空になったコーヒーカップを紫暗に留めてから、その台詞は囁かれた。




「・・・・・おまえの淹れたコーヒーが飲みたい」




僅かな甘さを含んだ、愛しくて仕方のない声。
心地良く自分の中に入り込んで来るその声が、悟空の頑なだった心を溶かし始めた。
駄目押しのように続けられた言葉に、とうとう涙が零れ落ちる。

「―――淹れてくれるか?・・・・・あの家で」

そんな台詞を吐かれては。
それはもう決定打としか言いようがない。
もう、涙を止める術など、見つからなくて。












「まだ・・・・許したわけじゃ、ないから」

強がりな言葉とは裏腹に、やはり涙は止まらなくて。
悟空の台詞を受け止めた瞬間にその唇乗ったのは、僅かな苦笑。

窓の外を涙の膜で見え辛くなった視界のまま見つめれば、雨が降り出しそれに雪が混じっているのに気付かされた。
先程まで鬱陶しく思われた過度なイルミネーションも、今では事の他美しく思えるのだから困ったもので―――。

どちらともなく立ち上がり、さらっと自然に肩に回された腕に懐かしい温もりを感じて―――。











普段は無口で滅多に口を開く事のないマスターが、カウンターの前を二人が通り過ぎるのを待って声を掛ける。

「どうぞ、良いクリスマスを」

にっこりと微笑んだ白髪のマスターに、返されたその声音は明るいもので。

「・・・・マスターもね」

振り返り様、久しぶりに施された悟空の笑顔は実に半年振りに見せられた晴れやかないい笑顔だったとマスターはそう感じ二人の今宵の幸せを願いながら、出口に向かうその姿を見送ったという。



















店のドアを、二人で開けた、その後は。







―――あの家に。
自分達が、長い間。
思い出を築き上げて来た、あの家に。









二人で、帰ろう。










そしてどちらからともなく、その言葉は告げられるだろう。








―――「メリー・クリスマス」、と。


































サブタイトル。
三蔵、本妻の元へ戻る、の巻(笑)。
浮気はしちゃダメよ、三蔵。
で、スクロールすると、何気に続きが・・・(笑)。









































部屋の中に足を踏み入れた瞬間、懐かしさに眩暈がしそうな程何一つ半年前と変わっていない風景に、安堵する。
自分が愛用していた灰皿も愛読書もすべてが捨てられる事なく、収められるべき場所に収まっていた。
これはやはり、自分の物を処分する事が叶わなかった悟空の想いが如実に現れているじゃないか、と。
そんなふうに自惚れるのは、早計だろうか。

部屋に入るのを待ちかねたように、すっと伸ばされた意外な程に熱さを帯びた腕に、悟空はとっさに逃げの体勢を取った。
それでも華奢な身体は難なくその腕の中にすっぽりと収まってしまい、気が付けば唇を重ねられているのだから、困った話。

自分でも、早急過ぎると三蔵にも自覚があった上での行動。
しかし、もうどうにも止まらなかった。
求めて止まなかった温もりが今目の前に存在していれば、ソレに手を伸ばしたくなるのは押さえ込む事など出来ない衝動。

「ん・・・・」

甘く漏れた悟空の声に艶を感じたとても、それは責められないだろう。
決して短くはなかった、この半年。
その温もりを欲し求め続けていたのは、悟空だけではない。
執拗に自分を攻め立て、舌を絡めてくる行為に悟空が抗ったのは、やはり複雑な心中が為せる業。

なかば強引に、唇を離して。
足りなくなった酸素を深く吸い込んでから、紫暗を見上げ睨み付けて来る金目は台詞の割には色を含ませ潤んでいた。

「まだ・・・許してないって言ったよね・・・・、こんな事しないで」

そんな言葉を聞いたところで、動じるような男ではない。
首筋にすっと下りて来る唇の熱さこそが、彼の想いを雄弁に物語っていた。

「やっ・・・あ・・っ」

思わず漏らしたその声が、こちらもすべてを語っている。
こうしてこの男に触れられる事を、どんなに自分が望んでいたかを。

他の誰にも、おまえの代わりなどならない、と。
告げたところで今のおまえは受け止めてはくれないだろう、と。
心中三蔵が苦笑しつつ呟いた、刹那。

「―――さんぞ・・・・すき・・」

会えなかった半年間の想いが溢れ出してしまったようで、思わず漏らしてしまった鼻に掛かる甘えた声。
この声を聞いただけでこれ程までに胸を熱くさせられるのも、ただ唯一目の前のこの存在だけだと確信して。

「まだ許してないんじゃなかったのか」

紫暗に揶揄をのせて、綴られた台詞は何処か楽しげだ。

「・・・・許してなんか、ない」

ここまで身体を火照らせて、こんな台詞を吐かれても、そんなものは信憑性などあったものではなく。
一つ、紅く鮮やかな痕を付けた後で。

「そんなに簡単に堕ちるな―――」






耳元で囁かれても、もう遅い。




























という訳で、この二人も
元サヤに収まり幸せなクリスマスを
迎えられたようで、良かった良かった(^^;
皆さんもこの二人に負けないようどうぞ
ハッピーなクリスマスをお過ごし下さいねvv